アラサー数学教員サイの一人議論

アラサー教員のサイが本を読んで考えたことをつらつら書きます

教員が人の授業を受けてみて思ったこと

僕は教員をしていますが、今はうつで休職しています。

 

この休職中に週4日病院に行って認知行動療法を受けています。

 

その中で週に1度心理療法士さんによる講義型の授業があります。

 

マインドフルネスについて学んだり、アサーションについて学んだり、内容は複数あり、講義型といっても5人くらいの患者さんとの対話形式だったり、ときには患者同士で話し合わせたりするので、流行りの学校の授業とよく似ているな―思います。

(今の学校では生徒に知識を一方的に教える授業ではなく、生徒同士の対話がある授業が推奨されております)

 

いつもは授業をしている立場なのですが、授業を受ける側の立場になって思った。

 

無目的な話し合いって本当にやる気起きない!

 

例えば「上司が忙しそうにしているけど、聞きたいことがあるときどうやってコミュニケーションをするか」などを紙に書くのですが、なぜか毎度書いた内容を隣の患者さんと共有しなければなりません。

 

僕「僕だったら○○といいます」

相手「なるほど。私だったら○○といいますかねー」

僕・相手「・・・」

って自分の書いたことを発表だけしてその後何も話すことがないから気まずくなるんです(笑)

 

僕も授業で形だけのグループ発表などをさせて、何も話すことがなくなって沈黙しているグループを見かけます。

 

「なんか話すことあるやろ!」って思っていたけど、何を目的とした話し合いなのかがはっきりしていないと発展させようにもさせれないということが生徒側に立って分かりました。

 

「相手の考えと自分の考えを照らし合わせて、自分の考えを深め、日常生活のコミュニケーションに活かすために話し合いをします」とかはっきり言ってくれたら、そのための質問とかできるのになー

 

いつもグループ共有のときは気まずくなるか、どうでもいい雑談で気まずい時間をつぶすだけになってしまうことにモヤモヤする僕でした。

 

久々に生徒側に立てて良かった。

 

ご一読ありがとうございました!