数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

「自省録」を読んで心に残った言葉

みなさん、こんにちは。

最近この本を読みました。

 

超訳 自省録 エッセンシャル版 | ディスカヴァー・トゥエンティ ...

 

これは紀元2世紀に生きた実在のローマ皇帝であるマルクス・アウレリウスが就寝前につけていた「瞑想記録ノート」です。

ですから、誰かに読んでもらうために書いたのではなく、あくまで自分自身との対話を記録するために書かれました。

また、アウレリウスは哲人皇帝(哲学に精通した皇帝)として知られているので、この記録は単なる日記ではなく、「私たちがどう生きればいいか」のヒントがいくつも載っています。

その中から私が心に残った言葉を1つ紹介します。

 

「君の身の上になにが起ころうと、それがはるか永遠の昔から、そうなると定められていたのである」

 

宇宙が誕生してから地球ができ、生命が誕生して、人間に進化し、生殖が繰り返されて、私が誕生して、今こうしてブログを書いていることまで全て運命として織り込み済みで、定められていたことであると考えるわけですね。

この考え方は自分の身に耐えがたい困難が降りかかったときに心を落ち着かせるために有用な考え方だと思います。

例えば、恋人に別れを告げられたとします。

とてもショックで「自分のどこが悪かったのかな」「なんで私がこんな目に!」などと考えて平常心ではいられなくなるかもしれませんね。

でもこれは

最初から決まっていたことで、いわば「旅行の日に雨が降ってしまった」と同じくらいどうしようもなかったこと

だと考えれば現実を受け入れやすくなるのではないでしょうか。

それによって次の恋愛に切り替えたり、恋人がいないことで浮く時間を有効に使ったりと前向きに人生を送ることができるのなら、この考え方は覚えておくべきでしょう。

しかし、この考えは悲観的にとらえることもできます。

すべて運命として決まっていることなら、自由意志など存在せず、私たちは運命に操られていることになります。

未来がどうなるかもすでに決まっていることになります。

こう捉えると人生をよりよくしようとするモチベーションも下がってしまいます。

 

運命は決まっているというのもありえそうな考えだし、運命は変えることができるというのも正しそうです。

状況に応じてどちらの考えを持つかを変えてもいいのかもしれませんね。

 

自省録からはアウレリウスの人間らしい葛藤が読み取れ、ローマ皇帝からの言葉というよりは、全く違う時代を生きた一人の人間から生き方の提案がなされているような感覚がしました。

この他にも色々な言葉が心に残りますので、ぜひ手に取って読んでみてください。

読んでいただきありがとうございました。