この記事では著書「ニーチェの言葉」の一節を抜き出し、僕の考えを交えて紹介します!
一度口にしたことは断固として行う。
それは立派な潔さのように思われている。
男らしく決断力があるかのようにも見える
また、意思の強い人のようにも思われたりする。
また、なんだかその行為が正しいようにさえ見える。
でも、よく考えてみよう。
一度口にしたことは頑固として行うというのは、一種の頑固ではないか。
感情的な行為ではないか。
強情の表れではないか。
また、そういうふうにふるまうことに、名誉心のようなものと虚栄心が隠されているのではないだろうか。
(『曙光』)
なぜ有言実行はかっこ悪いのか。
有言実行は一種の頑固で感情的な行為だから。また、それに名誉心や虚栄心が隠されているから
これがニーチェの答えだと僕は解釈した。
「有言実行が一種の頑固」というのは、なるほどその通りだと思う。
自分の言ったことにかたくなにこだわって、前言撤回することができず、自分を苦しめている人は周りにいないだろうか?
例えば、離婚を考えている人。
日本の離婚率は35%らしいです。
結婚しても3組に1組は離婚するということ。
当初は永遠の愛を誓い合ったはずなのに、いずれ
「あれは嘘でした。前言撤回します。」
となる。
人はこれを嘆くべきことだと捉えがちだけど、その考えによって「離婚したくてもできない人」を生んでしまっていないだろうか。
自分の言ったことを曲げてはいけないと頑なになっているせいで、離婚したいと思っているのに離婚できない人がいるのではないだろうか。
この離婚の例のように、有言実行にこだわるせいで、自分を苦しめている人はいる。
世の中の動きや、人の気持ち、自分の気持ちだって、移り変わるものだから有言実行の精神はこの世界では生き辛さにもなると思う。
さて、ニーチェの言葉に戻ります。
有言実行には名誉心と虚栄心が隠されている
ほんと、その通りだと思う。
ただ、名誉心や虚栄心というと「自分を大きく見せたい」という意味合いが強い。
それよりは、有言実行の裏に「自分を小さく見せたくない」という思いがある、という方が僕にはしっくりくる。
僕も「自分の言ったことを曲げたくない」と思うタイプだが、前言撤回をすると周りの人から
「あいつ、前あんなこと言っていたのに、ウソだったのかよ。ダサいな。」
と思われるのがイヤなのだ。
でも、この思いのせいで気軽に自分のやりたいことを言えないことがある。
「言ったことはやらなくちゃいけない」と思うと、自分のやりたいことを簡単に口にできないのだ。
でも、昨日「あ、前言撤回ってしてもいいんだ」と思える本に出会った。
それがこの本。

僕はこの中田敦彦、通称「あっちゃん」が好きなのだが
あっちゃんの座右の銘はなんと「前言撤回」。
朝に言っていたことをその日の夕方には変えてしまうこともあるそうな。
なんだかあっちゃんらしくて笑える。
こんな風に生きている人もいるんだから、僕も少しくらい言ったことを嘘にしてもいいかと思えた昨日でした。
さて、今日はニーチェの言葉から「有言実行は一種の頑固だから、かっこ悪い」という考えを書きました。
この考えで肩の荷が下りる人がいたら嬉しいです。
ご一読ありがとうございました!
