アラサー数学教員サイの一人議論

アラサー教員のサイが本を読んで考えたことをつらつら書きます

【学問のすすめ】なぜ学問をするの?

今日は「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で有名な福沢諭吉の「学問のすすめ(漫画で読破!)」を読んで考えたことについて一人議論します。

 

 

なぜ学問をするのか?

 

福沢諭吉によれば、独立者になるために学問をするのだそうです。

 

では独立者とはどんな人か?

 

他人の考えに影響されず自分で事態の正否を見分け自分の行動に間違いを起こさない人

 

だそうです。

 

 

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉は、「人は生まれつき平等である」というメッセージであり、だからこそ「人は生まれながらにして自由だ」と言えます。

 

しかし、人は自由だからこそ、堕落した生活をしたり、人に迷惑がかかるようなことをしたりすることだってできてしまいます。

 

人は自由だからこそ、その権利を適切に使う責任があるのです。

 

その責任を果たし、真に自由であるためには独立者になる(独立心を持つ)ことが必要なのです。

 

独立心を持たないと、自分の問題を自分で解決せず他人に依存ばかりして、言葉は卑しく態度も卑屈になる習慣が身についてしまうのだそうです。

 

 

僕は自由であることに重きを置いています。

 

だから、無給の残業なんておかしいと思っているし、飲み会の強制参加も大嫌いです。

 

しかし、僕が持つ自由に対する責任を果たせているか、独立心を持てているかと言われると、自信を持てません。

 

僕は今うつ状態だと診断されて、教員の仕事を休んでいるのですが、これからどのように仕事をしていくのか決められていません。

 

教員を続けるのか、転職をするのか。

転職をするとしたら、会社に就職するのか、フリーランスになるのか。

 

それを決めるのは自分なのですが、この決定を先送りにしています。

 

自分の意思で「今は次の仕事について考えない」とあえて決めているならまだいいのですが、「誰かが次の仕事を決めてくれるんじゃないか」と問題を先送りにしている自分もいます。

 

いつかお医者さんが「もう、仕事に戻っていいですよ」と言ってくれる。

いつか奥さんが「そろそろ仕事できるんじゃない?もう一度教員した方がいいんじゃない?」と言ってくれる。

 

こうやって、自分のことを誰かが決めてくれるんじゃないかと期待している自分もいるんです。

 

本当は「次どんな仕事をするか」は自分にしか決めれなくて、周りの人は僕の判断を待つことしかできないはず。

 

でも、問題と向き合うのが嫌で、夜更かししたり、暴飲暴食したりして、自分の自由に対する責任を果たせていないなと思っています。

 

 

自由に伴う責任を果たせる人(独立者)になるためには、学問が必要だというのが福沢諭吉の考えです。

 

また福沢諭吉は、学問は単に机に座り、本を読んで勉強するだけでなく、その知識を実生活で応用する経験こそが学問だと言います。

 

僕は学校の勉強は人並みにやってきましたが、それを実生活で意識的に応用してきませんでした。

 

勉強を大人からの承認を得る手段にしてしまっていたのかなー。

 

だから、独立心を持てなくなってしまったのかなー。

 

 

さて、いつもながら自分にネガティブになってきたので、反対意見も書いて終わります。

 

別に、僕はいつも独立心を持てていないわけではない。

 

他人の意見に流されず、自分で自分のことを決めたこともある。

 

自分を独立心があるかないかの白黒思考でとらえるのはおかしな話。

 

状況によって、独立心が持てない弱いところも今の自分にはあるというだけのこと。

 

弱いところというか、自分には改善したいと思っているところがある。

 

そこを改善するためにも、福沢諭吉の言っていることを改めて実践したい。

 

つまり、これまで学んできたことを実生活に応用したいし、新たに学問を学んで、実生活に応用したい。

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校では教えてくれない系の本を教員が読んでみた

今日は中学校数学教員の僕が「学校では教えてくれない超ディープな数学の教科書」を読んで考えたことを一人議論します。

 

 

 

この本では、中学校で習う数学を定義(ルール)と定理(事実)と分けて、徹底して定義から定理を導くスタンスを取っています。

 

例えば、「マイナス×マイナスはプラスになる」は定義ではなく、事実です。

 

この事実を「嫌な人に嫌なことがあったら嬉しいから、マイナス×マイナスはプラス」というような、具体例で例えて覚えさせるような説明はしません。

 

「-aはa+(-a)=0となる数である」という定義に基づいて、なぜマイナス×マイナスはプラスなのかを説明しています。

 

 

中学校の教科書では「0よりa小さい数を-aとする」と定義していて、そこからなぜマイナス×マイナスがプラスになるかを説明していますが、厳密な説明ではありませんし、その説明もほどほどにして、「マイナス×マイナスはプラス。とにかく覚えなさい」と言っているのが実情です。

 

生徒も「先生が覚えろと言っているから覚えるか」くらいの感覚で、「なぜそうなるのか?」は気にしていません。

 

僕はこの現状に疑問を持っています。

 

僕が中学生の時から(今もそうですが)納得できないことはしたくない!と思っていたので、何かを教えられるたびに何でそうなるんだろう?と思っていました。

 

でも、「何でそうなるのか?」は気にならない人が多数派なので、中学校の授業でも「なぜそうなるのか」を突き詰めて教えることはないんだと思います。

 

でも、なぜそうなるのか?を考えなかったら、「将来役に立つから」という勉強する理由は弱くなると思うんです。

だって、コンピューターがあるもん。

 

計算自体はコンピューターにさせればいいし、わざわざ手計算をする大人もいないと思う。

ただ、なぜそのように計算できるのか?を考えることでつく力は大人になっても使うと思う。

 

 

この本を読んで、当たり前だけど驚いたことは、数学になじみがなければ定義と定理の区別をつけるクセはつかないということ。

多くの人は、数学の定理も定義も全部覚えるものというイメージを持っているということ。

 

数学に対してこんなイメージが広まっているのはちょっと寂しいなと思うので、この本のように、定義から定理を導く授業をやりたいなーと思いました。

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

 

 

【精神分析入門・夢判断】フロイトってかっこいいよね

今日は精神分析学の創始者フロイトの「精神分析入門・夢判断(漫画で読破!)」を読んで考えたことを一人議論します。

 

 

僕は教員をしています。

同じく教員の経験がある方は、教員採用試験でフロイトとその理論について勉強したのではないでしょうか。

 

僕のフロイトのイメージは

始めて無意識を発見し、人間の意識を無意識、意識、前意識(無意識と意識の中間)に分けた人。

人間の発達段階は性的情動(リビドー)を体のどの部位で満たすかで分けることができると言った人。

です。

 

今となっては人に無意識があることは常識になっていますが、無意識が発見されたのはつい最近のことなんですね。

フロイトが亡くなったのは1939年)

フロイトに限らず、ダーウィンデカルトなど、後世にまで影響を及ぼす考え方を提唱した人ってめっちゃかっこいい。

(そもそも、名前も顔もかっこよくないですか?(笑))

 

ジークムント・フロイト - Wikipedia

 

 

無意識の発見もかっこいいですが、人間の発達段階を「性的情動の満たし方」で切り分けたのもかっこいい。

 

赤ちゃんが指吸いをするのは、唇で性的情動を満たすからなんだって。

(喫煙者が「たばこがないと口が寂しい」というのも指吸いと似ていると思っている)

 

 

さて、この漫画を読む前からある程度フロイトの理論は知っていたのですが、この漫画を読んで新たに学んだことがあります。

 

寝ているときに見る夢に自分の無意識が表れていて、その夢を読み解くことで(無意識に気づくことで)、神経症を和らげられることがある。

 

フロイトは医者だったので、精神分析は原因不明の神経症を治す手段として考えられたものらしい。

 

 

僕は今うつになって仕事を休んでいるのですが、はっきりとした原因が分かりません。

 

僕も夢をヒントに、自分の無意識の中でひっかかっているトラウマに気づいたら、ふと症状が出なくなったりするのかなーって期待しちゃいました。

 

ご一読ありがとうございました!

 

【戦争論】戦争が悪だと簡単に思ってはいけない理由

今日はプロイセン王国の陸軍軍人だったクラウゼビッツが書いた「戦争論」の漫画バージョンを読んで考えたことで一人議論します。

 

 

この漫画には「どうすれば戦争を有利に進められるか」「そもそも戦争とは何か」が書かれています。

 

例えば

・戦争とは相手に自分の意思を強要するための暴力行為である

・ナポレオンが登場してから、戦争では敵の意思ごと屈服させることを目指すようになった

・軍の強さは、数だけでなく、一人一人の国のために戦いたいという精神も影響する

 

ということが書かれていました。

 

ですが、僕が一番納得したことは次の言葉です。

 

感情に振り回されて戦争そのものを拒否することは問題を人任せにして文句を言っているのと変わりません。

 

僕は小学生の時から「戦争は絶対に認めてはいけない」と学校の先生から教わってきました。

 

僕は、何も考えず「そっか。戦争は絶対にしたらダメだ。」と思って生きてきました。

 

しかし、戦争は繰り返されていますよね。

 

誰も戦争なんてしたくないはずだけど、実際は起きてしまうものなんですね。

 

今、第3次世界大戦が起きていないのも、戦争を起こしたら核を使われて、自国が滅ぶかららしい。

 

「戦争は悪だ!」と決めつけると戦争についてそれ以上考えなくていいし、楽です。

 

でも、戦争の存在を事実として受け入れて、「なぜ悪なのか?」「なぜ戦争は繰り返されてきたのか?」と考えた方が結果として戦争を阻止できると思う。

 

なんだか、「差別は悪!」「いじめは悪!」にも同じことが言えるなー

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

【君主論】この人の理想のリーダー像が恐ろしい

今日はイタリア、ルネサンス期の思想家マキャベリが書いた君主論の漫画版を読んで考えたことについて一人議論します。

 

君主論 (まんがで読破)

 

マキャベリの考える理想のリーダーとは

冷徹であって、結果を出し続ける人

だと僕は解釈しました。

 

最近の自己啓発本には優しい人がリーダーに向いていると書かれていますが、マキャベリによると、リーダーは冷徹であって、従える人に恐れられる必要があるそう。

 

怖いリーダーなんて絶対嫌だ。

時代錯誤だ!今の時代にそんなリーダーはいらない!

と言いたい。

 

でも、ゆるい先生より怖い先生が担任するクラスの方が落ち着くという現象もあるから、あながち間違っていないのかな…

 

ただ、恐怖を使って人の行動に制限をかけるのって、短期的には効果があっても、長期的にはうまくいかないと思う。

 

 

マキャベリによると、リーダーは冷徹さともう一つ必要なものが結果だという。

 

これは、今の時代でも通じる理想のリーダー像だと思う。

 

今の教頭先生は怖いんだけど、仕事が超できて、結果を出せる人です。

怖いので仲良くなりたいとは思わないけど、教頭先生の仕事の進め方を学びたいなと思うし、教頭先生の決定ならついていきたくなる。

 

残酷だけど、結果が出せない内は信用はされない。

 

 

さて、最近「自分の主は自分自身である」という言葉を本で読みました。

 

これとマキャベリの言っている「信頼されるリーダーは結果を出さなければならない」ということを組み合わせると

結果を出さなければ自分自身を信用することはできない

ということになる。

 

自分に自信がないのは、今まで大した結果を出せていなかったからなのか。

 

まずは、小さい結果でいいから、コツコツ成功体験を積み重ねて自信をつけていきたい!

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

 

 

 

【エミール】学校って必要なんですかね?

今日はルソーが書いた「エミール(漫画版)」を読んで考えたことを一人議論します。

 

 

 

ルソーというと、フランス革命を支えた社会契約論が有名ですが、人をいかに教育するかを書いた「エミール」も教育業界では有名です。

(教員採用試験対策でもルソーとエミールはセットで覚えたもんだなー)

 

「エミールはルソーが書いた」という事実は知っておきながら、エミールの内容は全く知らなかったので、漫画版で読んでみました。

 

エミールとは、この本に出てくる架空の子ども名前で、「自分だったらエミールをこう育てる」という教育方法について書かれています。

 

ルソーの教育方針を読んで、一番「そんなことしていいの?」と思ったのは

思春期に入るまで、書物による教育は行わない

という方針です。

 

今の日本は小学1年生(6歳)からすでに教科書による教育を行いますよね。

 

でも、ルソーは書物による教育は思春期に入ってからでよいと言っています。

 

理由は、思春期になって初めて自分と他人との関係を意識するからです。

それまでは、他人の考えは教えなくていい。

 

では、思春期まではどうやって教育するのか。ルソーは

教えることはせず、自然現象に目を向けさせればよい

と言います。

 

自然の中に身を置くことによって、子どもは知的好奇心が刺激され、勝手に学んでいくから、へたに知識を教えなくていい。

 

ルソーの考えが正しいとしたら、今の学校の教育は間違っているということになる。

 

ルソーが生きた時代より、人の成長の方法について科学的に分かったことも増えているから、今の教育法の方が合理的かもしれない。

 

ただ、人に無理矢理勉強させるのは間違っているとは僕も思っている。

 

子どもであれ大人であれ、無理やり勉強させられる理由なんてない。

 

子ども自身が「勉強したい」と言っているとしても、勉強を社会から認めてもらうための道具だと思っていないかには気を付けたい。

 

学校ってお国のため、社会のために子どもに勉強することを強要しているように感じる。

 

全員が全員数学を学ばないといけない理由なんてない。

国が人に数学を学ばせたいのであって、その人が学びたくないなら学ばなくていいと思う。

 

今日はこの辺で。

ご一読ありがとうございました!

 

 

【死に至る病】精神的な死にいたる病気

今日は「(漫画で読破)死に至る病」を読んで考えたことについて一人議論します。

 

 

最近、古典的名著の漫画版を読むのにハマっています。

 

今回は哲学者キェルケゴールの「死に至る病」を選びました。

(タイトルを見て、不気味さと同時に好奇心が湧いたもので)

 

死に至る病というタイトルですが、何かの病気について書いたものではありません。

 

人は多かれ少なかれ、自分が自分でしかあれないことに絶望するよね。

それは身体的な死ではなく、精神的な死に向かっていく。

この絶望は(精神的に)死に至る病だよね。

 

ということだと僕は解釈しました。

 

何を言っているんだ??と思った方に伝えたい。

 

僕もこの本が何を言っているか全然分からん(笑)

 

僕も全然内容を分かっていないから、この本が言いたいことと全然違うと思うけど、思ったことをつらつら書きます。

 

 

自分が自分でしかあれないというのは、いつなんときでも変わらない、絶対的な事実ですよね。

 

だから、自分が自分であることに満足できなかったら、あるがままの自分を受け入れられなかったら、生きている間ずっと苦しむことになる。

 

ならば、人は自分が自分であることをありのままに受け入れることが、幸福の条件になるというのは理にかなっている。

 

そういう僕は、あるがままの自分を受け入れられてはない。

そもそも、あるがままの自分を見るのが嫌だから、無意識に本当の自分を見ないようにしている可能性もある。

 

もし本当の自分を見て見ぬふりをしているとしたら、なんか本当の自分がかわいそうな気がしてきた。

 

というわけで、自分が本当は何を考えているかを知るために、コツコツと自分と向き合う時間を確保していきたいと思いました。

 

ご一読ありがとうございました!