【ソクラテスの弁明】死が怖くない理由がソクラテスすぎた
今日は「ソクラテスの弁明」を読んで一人で議論したことを書きます。
ソクラテスと言えば中学校の歴史の教科書にも出てくる人物ですね。
私は知らないことを知っている(無知の知)
で有名な哲学者です。

中学生の時は
くらいにしか思っていなくて、無味乾燥な知識だったけど、「ソクラテスの弁明」を読んだら「あ、ソクラテスも血の通った人だったんだな」と思えます。
ちなみに、「ソクラテスの弁明」はソクラテスが書いたものではなく、不敬神の罪で死刑判決が下される裁判でのソクラテスの民衆に対する弁明を弟子のプラトンが記録したものとされています。
(プラトンもよく、一言一句記録したものだなーと感心したいけど、実際はプラトンの創作だと考えられているようです。)
さて、前置きはこれくらいにして、ここからは僕の一人議論を書いていきます。
「ソクラテスの弁明」ってどんなことが書いてあるんだろう?
「ソクラテスの弁明」を読んだ人の感想を見たい!
という方は是非読んでいってください!

死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思い込むことに他ならないからです。
それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。
言っていることがソクラテスすぎる(笑)
無知の知ができていないから、死への恐怖を生んでいると。
でも、たしかに誰も死んだことがないんだから、死ぬことが良いことか悪いことかなんて誰も分からないですよね。
それなのに私たちは死ぬのは怖いことだと決めつけている。
私たちは
「死はどういうものか知らないのに知っているふりをする」
「死はどういうものか知らないことをそのまま知っている」
たしかに言われてみれば、ソクラテス師匠のおっしゃる通り、なぜ僕たちは死を恐れるのか不思議だな。
僕は人間の行動はもとをたどれば、すべて種の存続が目的になっていると思っています。
「死への恐怖」という機能をつけておくと、種の存続する可能性が高まるから、生まれつきみな死を恐れるんだろう。
また、人が死ぬときって苦しそうじゃないですか。
(見たことないけど、そういうイメージありますやん)
だから、死そのものというか死ぬ直前の苦しみへの恐れが僕にはあります。
ただ、死ぬ直前の苦しみがないなら、死ぬことってダメなことなんでしょうか??
「死は生まれるのと同じくらい自然なことである」って他の哲学者も言っていた。
(誰か忘れた(笑))
それに、僕は死ぬと何の考えも感覚もなくなる(無になる)と思っていて、それって寝ている状態と大して変わらないと思うんです。
「死んでいる」ではなく「寝ている」と表現しているけど、僕たちは毎日死んでいるようなもんだ。
(私は朝目覚める度に生まれ変わるって言っていた哲学者もいた。誰か忘れた(笑))
ところで、僕は植物が枯れても気にも留めませんが、人が死ぬことにはショックを受けます。
でも、それって人という種に執着しているから思うことであって、宇宙全体の視点に立つとすると、植物が死ぬのも人が死ぬのも何の影響も及ぼさない、どうでもいいことだと思います。
だから、ソクラテスのようにあんまり生きることに執着しなくていいのかなーって思った「ソクラテスの弁明」でした。
ご一読ありがとうございました!