数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

不登校生徒の親御さんに物申したい

みなさんこんばんは。

私は中学校で教員をしています。

私が担任をしているクラスには不登校生徒がいて、今日はそのお母さんと30分くらい電話をしました。

 

何を話したのかと言われても、「これ!」とはっきり答えられません。

ひたすらお母さんの不安な思いを「はい、そうですね。たしかに…」と聞いている電話でした。

こうやってお母さんの話を聞いているだけで、その子の人生が好転するならいいのですが、こっちまで暗い気分になってしまいました…

 

そのお母さんは不安を抱えやすい方で、その子だけでなく、その兄弟も不登校でした。

不登校の生徒の兄弟も不登校というのはよくあるパターンです。

 

お母さんは電話で「これからあの子に何をしたらいいか私も分からないんです…」と言っていました。

「○○さんのペースに合わせた支援をするしかないですかね」

とふわっとした当たり障りのないことしか言えませんでしたが、本音は

「お母さん自身が変わるしかないんじゃないですか」

と言いたかった。

 

まだその家庭と接して1か月も経っていませんし、その子のこともお母さんのことも家庭のこともよく分からないので、あくまで直感に過ぎないのですが

お母さんの不安感が子どもに移っていると感じています。

まずは、お母さん自身がどっしり構えて「学校に行っても行かなくてもこの子の価値は絶対的なもの」と心の底から信じるべきなんじゃないかな。

「学校に行けない自分はダメな人間だ」とその子は思っていそうなのですが、その子がそう思うのはお母さん自身が「学校に行かないのはダメなことだ」と思っているからなのではないでしょうか。

 

僕の直感は外れているかもしれません。

でも

「他人の気持ちと行動はコントロールできない」

という考えは的を得ていると思います。

子どもといっても所詮は他人。

他人を変えようなんて、傲慢な態度だと思うんです。

変えられるのは自分だけだし、自分のできることに集中するしかない。

 

例えば、そのお母さんは旦那さんの話を全くしたことがありません。

夫婦共同で子育てをしているようには見えないのです。

家庭で何があるのかは分かりませんが、勇気を出して

「子どものことでどうしたらいいか分からないんだけど…」

と旦那さんに話してみるのはどうでしょうか。

上手くいかなくても、自分の行動を変えようとしているお母さんの姿を見たら、その子も自分を変えようと思うかもしれませんし。

 

偉そうなことを書いてきましたが、自分への戒めも込めています。

その子やお母さんを変えたいなら、まずは僕自身が行動を変えなければならない。

というか、自分にできることをするしかない。

例えば、いつもお母さんとコンタクトを取っているけど、お父さんにも電話してみるとか。

もしかしたら僕がいつもお母さんだけに電話をかけているのも、お母さんが「自分だけで子どもを育てないといけない」と思ってしまうことに拍車をかけているのかも。

 

でも、こうやって自分の行動を本気で変えようという気持ちもない。

だから、その子が学校に行きたくないという結果も変わらないのかな。

とか、もんもんとする一日でした~

 

「○○先生、今日機嫌悪い?」と言われた理由

みなさんこんばんは。

私は教員をしています。

今日学年主任から

「○○先生、今日機嫌悪い?」

と言われました。

 

はい、機嫌良くはなかったです。

なぜなら、もう定時がすぎていて一刻も早く帰りたいのに、職員室で雑談が始まるから。

「仕事を家に持ち帰っても全然やる気でんのやってなー」

とか話していましたけど、そんなことを言っている間に今仕事をすればいいのに…

とか思っていました。

 

だから、学年主任が色々話を振ってきて、応対するのですが心の中は「早く帰りたいなー」でした。

自分の中では一生懸命話を聞いていたつもりだったのですが、やっぱり心で思っていることって態度にでちゃうんでしょうね。

僕の応対の様子を見て、「機嫌が悪いのかな」と思ったのでしょう。

 

今回のことで少し反省しました。

自分ではしっかり人の話を聞いているつもりでも、心の中で嫌な気持ちを抱いていると態度に出てしまうのだと。

疲れていたり、機嫌が悪いときはきっぱり「すみません、今は疲れているので早く帰ります」と伝えることが大事だと思いました。

最近調子が悪い理由に自分でもびっくり!

みなさんこんばんは。

私は最近「調子が悪いな」と思っていました。

前までは仕事帰った後にランニングや筋トレや料理や読書などをするモチベーションがありました。

しかし、ここ一週間は何のやる気も出ず、帰ってコンビニ弁当を食べて、ゲームを夜遅くまでするという生活が続いていました。

 

私は中学校で教員をしているのですが、今は年度初めです。

新しいクラスでの学級経営に神経は使うし、仕事のポジションも変わるので、この一週間は忙しさを感じていました。

調子が悪く何事にもやる気が出ないのも忙しさで疲れているのが原因だと思っていました。

 

しかし、今日は帰ってから無性に料理を作りたくなったのです。

今日は金曜日だから一週間の疲れもめちゃくちゃ溜まっているはずなのに。

なぜ、今日は仕事終わりに料理のやる気が出たのか。

答えは簡単でした。

明日仕事がないから!!

 

今までは疲れそのものが自分のモチベーションを下げていると思っていました。

でも、本当は「明日も疲れる」と思うとモチベーションが下がっているだけだったのです。

だから、「明日も疲れる」という勝手な妄想で自分を苦しめていたわけですね。

実際に仕事をしているわけではないのに、仕事をしている明日を想像して勝手に嫌な気分になっているのって下手な生き方だなって思います。

仕事以外の時間は一切仕事のことを考えないようにした方が健康的ですし、仕事も効率的になりますからね。

 

何はともあれ、この土日は休み!

何をしてやろうか、今からワクワクしています!

仕事のことは一切忘れて、自分がやりたいと思っていることを素直にしよ~

 

 

 

陰キャラの先生が生徒に自己開示をしてみたら…

みなさんこんばんは。

私は中学校で教員を4年間しています。

私は陰気な性格なので、今まであまり生徒と積極的に喋ろうとはしていませんでした。

 

しかし、昨年に

「生徒とよく喋らないと信頼関係が作れない。信頼関係がなかったら何も指導が入らない」

ということが腑に落ちました。

「生徒と喋らないと上手くいかない」というのは何度も耳にしていたけど、担任を持つまではそれがよく分からなかったのです。

 

そこで、今年は今までの2倍は喋ろうと思っていて、生徒の前でも「今年は去年の2倍みんなと喋ります」と宣言してみました。

宣言した方が行動を一致させようとすると思ったからです。

心理学では宣言効果とかいうらしい。

 

そこで、この1週間生徒とたくさん喋るようにしているのですが、なかなか生徒が自己開示をしてくれません。

自己開示をされないと信頼関係が生まれるような気はしません。

でも、生徒が自己開示をしないのは当たり前なんですよね。

だって、僕が自己開示をしてこなかったから。

 

そこで、今日は思い切って自己開示を意識してみました。

僕が中学校の頃の恋愛話をしたり、今の奥さんとの出会いを喋ったり…

「ウケたらいいな」と思って自分の失敗談を話したりもしました。

 

結果は

8割くらいスベりました(笑)

ちょっと凹みましたけど、誰でも最初は初心者って言いますもんね。

自己開示や相手を笑わせようとすることを今までしてこなかったので、それが下手なのは当たり前か。

しかも、残りの2割は笑ってくれた。

今まではこの8割のスベリもなかったけど、2割の笑いもなかったし、チャレンジした意味はあったと思おう。

あと、今までは「スベると相手も恥ずかしい思いをさせてしまって申し訳ない」っていう気持ちもありました。

でも、まぁそのくらいの恥ずかしい思いは一緒にしてもらおう。

「自己開示をする練習に付き合ってもらっている」と思えば生徒への感謝も生まれますしね。

 

というわけで、明日も慣れない自己開示を練習してきます。

 

「なぜ数学を学ばなきゃいけないんですか?」と言われたらこう答えようかな。

みなさんこんばんは。

私は中学校で数学教員をしています。

明日は数学の授業1発目です。

1発目の授業は教科開きと呼ばれていて、先生の数学の授業に対する期待と生徒の数学の授業に対する期待をすり合わせるためにとても重要です。

 

この教科開きで「なぜみんなは数学を学ぶのか」ということを語る必要があります。

しかし正直、「なぜみんなは数学を学ぶのか」に対して、自分で納得するような答えを持てていません。

そこで、今日は明日の教科開きで何を生徒に語るかを決めるために、「なぜ生徒が数学を学ぶのか」についてつらつらと書いていきます。

 

「僕自身はなぜ数学を学んできたか」なら答えられるんですよね。

とにかく楽しかったから。

論理的に物事を考えるのが好きだし、かっこいいと思っているんですよね。

社会の歴史で「ルター」という人名を覚えなきゃいけないけど、「なぜ名前がルターなのか」って理由がないじゃないですか。

そういう理由がないものをひたすら覚えるのって楽しくなかったんですよね。

それに比べて、数学は良い。

覚えなきゃいけないのは定義だけ。

「公式も覚えなきゃいけないじゃん!」って思われるかもしれませんが、公式は理由を考えて、導出できれば覚えなくていいです。

それにその「なぜその公式が成り立つのか?」と考えること自体が僕にとっては楽しかったのです。

「数学が世の中の役に立っている」という部分にもとても価値を感じていますが、「世の中に立っているから勉強する」って言うのは理屈がよく分からないんですよね。

「大人になって数学の知識を使う」というのもほとんどの人にとっては嘘になるでしょうね。

多くの人より数学に携わっている私でも「数学の知識が役に立った!」ということはあまりありません。

役に立ったとしても、小中高の合計12年間も費やす価値がある有用さではないと思っています。

 

前置きが長くなりましたが、本題です。

「なぜ生徒が数学を学ぶのか?」には何と答えればいいでしょうかね。

ぶっちゃけ

「国が数学を学ぶことを定めているから」が一番納得できると思うんです。

「数学を学ぶ理由として消極的だ」と思うかもしれませんが、じゃあもし数学を学ぶことを定められていなかったとしても、子どもたちは数学を学ぼうとするのでしょうか。

ほとんどの人の答えはNOでしょうね。

 

でも、僕は「国が定めているんだから黙って数学を学べ」なんて絶対言いたくないです。

僕は数学が好きですし、そんな嫌々数学を学ばれるのも心苦しい…

そこで、本音で子どもたちに話すとしたら

「国が数学を学ぶことを定めている以上、数学を学びたくないなら、数学を学ばなくていい国に行くしかない。でも、そんなことしたら食べていけなくなる。だから、日本にいるという選択を取る以上、数学を学ぶことは避けられない。じゃあ、どうせ数学を学ばなきゃいけないなら、自分が心から納得できる学ぶ理由を見つけた方が得だと思いませんか?」

別に学ぶ理由なんて何でもいいです。

「数学がパズルみたいで面白いから」

「数学している俺かっけーって思えるから」

「数学は苦手だけど、その苦手を克服したら自己肯定感が上がるから」

「数学の先生に認めてもらいたいから」…

僕なんて高校の時の数学を学ぶ理由は、楽しいからが30%。

70%は「数学ができるキャラ」を確立すれば、好きな子から「数学を教えて」って言ってもらえる可能性が高いからでした(笑)。

 

純粋にその学問に興味をもって勉強できたら一番いいんじゃないかと私は思います。

でも、人それぞれ生き方は違うし、自分の好きな考え方で勉強のモチベーションを保てばいいんじゃないかな。

 

 

 

「みんなから受け入れられている」と思えるクラスにするにはどうすればいいか

私は中学校で教員をしているのですが、明日は学級の始まりの日です。

これを学級開きというのですが、学級開きで担任から「このクラスをどのようにしていきたいか」を明確に示すと、生徒が「この先生は何を大事にしているのか」が伝わって、一年間の指導のやり方に生徒が納得をしやすくなります。

 

前の記事で書いたのですが、私は「みんなから受け入れられている」という感覚を全員が持てているクラスにしたいと思っていて、それをそのまま生徒に伝えようと思います。

ですが、それだけだとかなり抽象的なので生徒は「で、具体的に何をすればいいんですか?」となると思います。

だから、「みんなから受け入れられていると思えるクラスにするために、こんなことを大事にしてください」ということを具体的に言いたのですが、全然具体的なことが思い浮かびません!(笑)

だから、今日の記事では「みんなから受け入れられている」と全員が思えるクラスにするには具体的に何をすればいいかをつらつらと書いていきます。

明日の学級開きで言いたいことがまとまればいいなーという期待を込めて。

 

まず、「みんなから受け入れられている」という感覚は主観的なものです。

極論を言えば、誰かにめちゃくちゃ拒否されていたとしても、それに気づかずに「みんなから受け入れられている」と思えていれば、その人はOKなんですよね。

でも、それだとその人自身はOKだとしても、その周りの人は「みんなから受け入れられている」という感覚は持ち辛いでしょうね。

 

例えば、Aさん自身は「みんなから受け入れられている」と思っているけど、BさんはAさんのことを拒否しているとします。

そして、BがAを拒否していることを知っているCさんがいるとします。

このときAさんは良くても「Bさん」と「Cさん」はみんなから受け入れらているという感覚は持ち辛いと考えています。

 

まずはBさん。

BさんはAさんを受け入れられていません。

その時点で「自分はAさんから受け入れられている」とは思えないでしょう。

自分が誰かを苦手に思っている場合、大抵その人も自分のことを苦手に思っていますからね。

また、Aさんに限らず、Aさん以外からも受け入れられているとは思い辛いでしょう。

なぜなら、心の底から「誰からも受け入れられている」と思える人は、その人自身が全員を受け入れられていると思うからです。

誰かを受け入れないという選択肢が頭に浮かんでこない人は、誰かから受け入れられていないという発想がないと思うんです。

要は、Bさんが「Aさんを受け入れない」という選択を取っているということは「誰かから受け入れられていないかもしれない」と思いやすいということです。

 

続いてCさん。

Cさんは、BさんがAさんを受け入れていないことを知っています。

Bさんからは受け入れられているとしましょう。

それでも、Cさんは不安に思うのではないでしょうか。

いつかBさんは自分を拒否してくるのではないかと。

Bさんを心の底からは信頼できないと思います。

 

僕にも誰かの愚痴は言うけど、僕を受け入れてくれている友達もいます。

別にその人を信頼していないわけでもないです。

でも、僕も受け入れているし、周りの人も受け入れている人の方が信頼できるのは間違いないです。

 

何もされていないCさんも心の底から「みんなから受け入れられている」とは思えないということです。

 

色々書きましたが、言いたかったのは「みんなから受け入れられている」と全員が思えるクラスにするためには、まずは自分自身がみんなのことを受け入れる必要があります。

他人が自分を受け入れるようにコントロールするなんて無理な話です。

より「クラスから受け入れられている」という感覚を持つために自分にできることに集中するしかないのです。

 

では、「クラスから受け入れられている」という感覚を持つために、自分にできることは何でしょうかね。

「みんなを受け入れる」では抽象的すぎて具体的な行動に落とし込めません。

そこで

「人が大切にしていることを大切にする」

がいいのかなと思います。

 

例えば、僕はずぼらなので、クラスが整理整頓されていてもされていなくても、あまり気になりません。

でも、クラスの中には整理整頓されていないとぐちゃぐちゃで気持ち悪いという人もいるでしょうね。

その人は「整理整頓がされている環境」を大切にしているわけです。

そういうときに、「自分は大切にしていないから」と放っておくのではなく、

「自分は気にしていないけど、あなたが大切にしているなら整理整頓をしよう」

と思えればいいのかな。

 

まぁ上手くまとまらなかったけど、寝て起きたら何か思いつくことを期待します(笑)

 

明日学級開き頑張ってきます!

ありがとうございました!

 

 

 

 

教員は勉強会で生徒のように挙手をするのか

みなさんこんにちは。

私は中学校で教員をしています。

中学校のときみなさんは先生に

「積極的に発表しましょう!」

って言われませんでしたか??

僕もよく言うし、周りの先生もよく言っています。

 

では、その先生自身は逆の立場だったら挙手をして発表するのでしょうか??

先日の僕はできませんでした。

 

先日、先生同士での研究会があって、主催の先生が

「これについて何か気づかれたことはありますか??」

と挙手を求めてきました。

僕も含めて20人くらいの先生が全員手を挙げず…

主催の先生もとてもやりずらそうでした。

生徒に質問をして何も手を挙げられなかったときってこんな感じになるよな…

 

私が手を挙げたなかった理由は

挙手してもしなくてもいいのに、わざわざ挙手する理由が分からなかったから。

生徒もこんな感覚で手を挙げないのでしょうね。

 

でも、僕が手を挙げない生徒に指導するなら

「どんな授業でも積極的に参加することで自分の身になるんやで」

「授業の雰囲気は一人一人がつくっているんだから、誰も手を挙げなくても自分はあげればいいんやで」

「自分の意見を言って他者から意見をもらうっていうことは大切なことなんやで」

とかでしょうか。

 

でも、そんなことを言う僕自身が手を挙げませんでした。

周りの先生も挙げていなかったし、そんなものなのかもしれません。

ただ、僕は手を挙げなかったことにモヤモヤした。

生徒に手を挙げてほしいと思っているのに、自分は挙手をしないことに。

それってなんだかずるいし、挙手をするメリットが腑に落ちていないということ。

本人が挙手することをそこまで大切だと思っていなくて、行動に表れていないのに「挙手するのが大切なんやで」って言われても聞く耳は持たないですよね。

 

次、発表する機会があったら勇気を出して発表したいな。

生徒に自信をもって発表してもらうために。