私は中学校で教員をしているのですが、明日は学級の始まりの日です。
これを学級開きというのですが、学級開きで担任から「このクラスをどのようにしていきたいか」を明確に示すと、生徒が「この先生は何を大事にしているのか」が伝わって、一年間の指導のやり方に生徒が納得をしやすくなります。
前の記事で書いたのですが、私は「みんなから受け入れられている」という感覚を全員が持てているクラスにしたいと思っていて、それをそのまま生徒に伝えようと思います。
ですが、それだけだとかなり抽象的なので生徒は「で、具体的に何をすればいいんですか?」となると思います。
だから、「みんなから受け入れられていると思えるクラスにするために、こんなことを大事にしてください」ということを具体的に言いたのですが、全然具体的なことが思い浮かびません!(笑)
だから、今日の記事では「みんなから受け入れられている」と全員が思えるクラスにするには具体的に何をすればいいかをつらつらと書いていきます。
明日の学級開きで言いたいことがまとまればいいなーという期待を込めて。
まず、「みんなから受け入れられている」という感覚は主観的なものです。
極論を言えば、誰かにめちゃくちゃ拒否されていたとしても、それに気づかずに「みんなから受け入れられている」と思えていれば、その人はOKなんですよね。
でも、それだとその人自身はOKだとしても、その周りの人は「みんなから受け入れられている」という感覚は持ち辛いでしょうね。
例えば、Aさん自身は「みんなから受け入れられている」と思っているけど、BさんはAさんのことを拒否しているとします。
そして、BがAを拒否していることを知っているCさんがいるとします。
このときAさんは良くても「Bさん」と「Cさん」はみんなから受け入れらているという感覚は持ち辛いと考えています。
まずはBさん。
BさんはAさんを受け入れられていません。
その時点で「自分はAさんから受け入れられている」とは思えないでしょう。
自分が誰かを苦手に思っている場合、大抵その人も自分のことを苦手に思っていますからね。
また、Aさんに限らず、Aさん以外からも受け入れられているとは思い辛いでしょう。
なぜなら、心の底から「誰からも受け入れられている」と思える人は、その人自身が全員を受け入れられていると思うからです。
誰かを受け入れないという選択肢が頭に浮かんでこない人は、誰かから受け入れられていないという発想がないと思うんです。
要は、Bさんが「Aさんを受け入れない」という選択を取っているということは「誰かから受け入れられていないかもしれない」と思いやすいということです。
続いてCさん。
Cさんは、BさんがAさんを受け入れていないことを知っています。
Bさんからは受け入れられているとしましょう。
それでも、Cさんは不安に思うのではないでしょうか。
いつかBさんは自分を拒否してくるのではないかと。
Bさんを心の底からは信頼できないと思います。
僕にも誰かの愚痴は言うけど、僕を受け入れてくれている友達もいます。
別にその人を信頼していないわけでもないです。
でも、僕も受け入れているし、周りの人も受け入れている人の方が信頼できるのは間違いないです。
何もされていないCさんも心の底から「みんなから受け入れられている」とは思えないということです。
色々書きましたが、言いたかったのは「みんなから受け入れられている」と全員が思えるクラスにするためには、まずは自分自身がみんなのことを受け入れる必要があります。
他人が自分を受け入れるようにコントロールするなんて無理な話です。
より「クラスから受け入れられている」という感覚を持つために自分にできることに集中するしかないのです。
では、「クラスから受け入れられている」という感覚を持つために、自分にできることは何でしょうかね。
「みんなを受け入れる」では抽象的すぎて具体的な行動に落とし込めません。
そこで
「人が大切にしていることを大切にする」
がいいのかなと思います。
例えば、僕はずぼらなので、クラスが整理整頓されていてもされていなくても、あまり気になりません。
でも、クラスの中には整理整頓されていないとぐちゃぐちゃで気持ち悪いという人もいるでしょうね。
その人は「整理整頓がされている環境」を大切にしているわけです。
そういうときに、「自分は大切にしていないから」と放っておくのではなく、
「自分は気にしていないけど、あなたが大切にしているなら整理整頓をしよう」
と思えればいいのかな。
まぁ上手くまとまらなかったけど、寝て起きたら何か思いつくことを期待します(笑)
明日学級開き頑張ってきます!
ありがとうございました!