数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

新しい学級はこんなクラスにしたい!

みなさんこんにちは。

私は中学校で教員をしています。

私が教員になった理由は「数学を教えたいから」であって、「担任として学級経営を頑張りたい」という気持ちは持てていませんでした。

 

昨年度初めて学級担任を持ったのですが、うるさくてがちゃがちゃしていて一緒にいて心地よいクラスだとは思いませんでした。

僕がそう思うということは、子どもたちの中にもそう思っていた子は何人もいたでしょうね。

 

「学級経営を頑張っていいクラスにしたい!」という気持ちは持てていませんが、一年間担任をしてみて

心地が悪い学級にはしたくない!

という思いは持つようになりました。

心地が悪い学級だと本来やりたいことである授業も上手くいきませんしね。

 

昨年度は何も考えを持たずに、ただ日々の忙しさに流されるだけの学級経営だったので、がちゃがちゃしたクラスになったのだと思います。

そこで、今年度はそうしたクラスにならないように、どんな学級経営をしていきたいかをここで文字に起こしておこうと思います。

 

私が目指したいクラスは

全員が「ここにいていいんだ」という感覚を持てているクラスです。

他にも「健康でいてほしい」「自分の能力を発揮してほしい」「自分の好きなことをしてほしい」など色々な思いはあるのですが、「ここにいていいんだ」と思える安心感がなければどれも実現しないと思うんですよね。

実際、私も「この学年部会にいていいのかな」と思っていたときがありましたが、そのときは仕事をしていて全然楽しくありませんでした。

 

では、全員が「ここにいていいんだ」という感覚を持てるためには何が必要かを考えました。

それは

「誰からも否定されない」

という安心感だと思います。

クラスで「うざい」「うっとうしい」など、人の人格を否定するような言葉が飛び交っていると自分に言われていないとしても「いつか自分が否定されるかも」って思ってしまいますもんね。

 

ここで子どもたちに勘違いしてほしくないなと思うのは反対の意見を持つのは大歓迎だということ。

「否定してはいけない」というと「反対の意見を持ってはいけない」と勘違いする子がいるんですけど、否定してはいけないのは人格であって、意見の反対はあってしかるべきだと思うんですよね。

むしろ、反対意見は活発に出してほしい。

そのためにも「反対意見を言っても人格を否定されるわけではない」という感覚を持たせたい。

 

では、このような安心感を持つために具体的に何をするかを考えてみました。

昨年度も「安心できないクラスにはしたくない」とは思っていましたが、なかなか上手くいきませんでした。

その反省も踏まえて、今年度は次のことをやっていきたい。

・子どもの関心に関心を寄せる

・整理整頓をさせる

 

 

昨年度は、子どもに関心が湧かなかったので、積極的に子どもと話そうとはしていませんでした。

それによって、担任との信頼関係が崩れたなと思っています。

でも、関心が湧かないからと言って関心を持とうとしないのは自分にとって損なこと。

なぜなら、子どもに関心を持つのは仕事の一環だから。

 

子どもは「何を言われたか」より「誰が言ったか」で良し悪しを判断する傾向にあるので、担任との信頼関係がないと仕事にならない。

まずは、子どもの関心に関心を寄せていくことから始めたい。

 

また、整理整頓もしていきたい。

昨年度の教室はガチャガチャだった。

子どものころから「場を整えることが安心感につながる」と言われてきましたが、全然腑に落ちいてませんでした。

正直、今も腑に落ちていません。

なぜ場を整えることと安心感につながりを感じないからです。

でも、今まで何度も学級経営をしてきた先生みんなが「場を整えることが安心感につながる」とおっしゃっているし、そんなもんなんかなーと思えてきました。

 

昨年度クラスがガチャガチャしていたのが、教室がガチャガチャしていたからだとしたら面白いなと思います。

一見関係なさそうなことが関係あったときに僕は嬉しくなるからです。

本当に場を整えたら安心感が増すのか?と実験をするような感覚でやっていこう。

 

こんなことを意識して4月から学級経営していこー