数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

隣のクラスの先生、根っから教員すぎる!って思った話

みなさんこんにちは。

私は中学校で教員をしています。

今日は

「隣のクラスの先生が根っからの教員すぎるだろ!」

と思った話をします。

 

その先生とは一年間同じ学年部会でやってきましたが、節々の言動や行動から

「子どもを成長させるのがこの先生の喜びなんだろうな」

と思っていました。

「この子が3年後にどんな姿になってほしいかを考えて、今何するかを考えるべきじゃないかな」

「あの子は今しんどいやろうけど、ここを乗り越えたらグッと成長するやろうな」

とかよく言っていました。

 

僕は数学を教えたくて先生になっただけなので、子どもの成長に興味があまり湧きません。

だから

「この先生は僕と全然違うな」

「この先生みたいなモチベーションで教員できたら楽しいんだろうな」

と思っていました。

そして今日、「この先生仕事好きすぎるだろ!」と思った出来事が。

 

今日は4月からの新クラス編成を学年みんなで考えていました。

クラス編成って

「あの子とあの子は仲悪いからくっつけたらダメ」

「この子とこの子はくっつけないと学校に来なくなりそうだからダメ」

「あそことあそこの家庭は仲が悪いから一緒にしちゃダメ」

「全てのクラスのテストの平均点はほぼ一緒じゃないとダメ」

「ピアノが弾ける子をクラスに1人は入れなきゃダメ」・・・

とかいろんな要素を考えなければならないので結構大変です。

 

クラス編成では色々な子の特徴を考慮しなければならないのですが、僕は普段から子どものことをしっかり観察することができていないので、クラス編成の話し合いに入っていけません。

一方、そのころ隣のクラスの先生は

「絶対、この子とこの子をくっつけた方がこの子らのタメになる」

「ここのクラスは提出物出なさそうやけど、担任の学級経営次第で何とかなりそう」

とか色々楽しそうに分析しています。

 

そして、5日間ほどかけてようやくクラス編成が出来上がりました。

クラス編成ができたら必ず話題にあがるのが

「○○先生はどのクラス持ちたい?」

です。

ここで持ちたいクラスが先生全員同じだったら、クラス編成としては微妙です。

持ちたいクラスが分かれる方が様々な要素を均等に分けることができているということなので、理想的です。

 

私の持ちたいクラスの判断基準は

「あの子とかあの子は持ちたくない!」でした。

提出物を出さない子を持つと親に電話する機会がグッと増えてしまうし、ずっとギャーギャー言っている子がいるとうるさくてストレスが溜まってしまいます。

みんな持ちたいクラスを決めるときは「あの子を避けたい」だと思っていましたが、隣のクラスの先生の判断基準は違いました。

「この子を担任すると楽しそうだな」

「去年この子を苦労して育てたから、来年もこの子を見届けたいな」

とか

「どの子を担任として持ちたいか」という観点で持ちたいクラスを選んでいたのです。

いや、ほんまに子どものこと好きすぎだし、教員に向きすぎでしょ。

 

ただこの「この子を育てたい」っていう気持ちって一歩間違えるとおかしな方向に行くと思うんですよね。

何がその子にとっての幸せかって一人一人違うわけじゃないですか。

だから健全な「育てる」=「その子が幸せになるような支援をする」ってことだと思うです。

でも、「この子を育てたい」が

「この子を自分の都合のいいように誘導したい」

になっていないかは常にチェックする必要があると思うんです。

例えば、「この子を集団のリーダーにしたい」とかよく言う先生がいるんですけど、それってその子の幸せのために言っていることなんですかね。

まぁ結果的に幸せになるかもしれないけど、根本には

「この子をリーダーにすることで私の学級を安定させたい」

があるんじゃないでしょうか。

結局は自分の都合のいいように子どもを育てようとしていないでしょうか。

 

なんか最後言いたいことがブレた気がするけど、今日一番言いたかったのは隣のクラスの先生は根っからの教員思考で僕と全然違うということ。

人ってこんなにも違う生き物なんだなって思いました。