今日は道徳の授業で
仲間外れを絶対に許さない態度を育む
が、ねらいの授業をすることになった。
が、
そもそも仲間外れは絶対に許されないことなのだろうか?
こんな疑問を持ちながら授業をしたからか、ねらいを達成できたの生徒はクラスの3割程度だった。
何かの「正しさ」や「善悪」が論じられるとき、私はいつも
この世に絶対的に正しいことなんて何もない
という前提で考えるようにしている。
時代や人の立場や文化が違えば「正しい」とされることは変わってくる。
例えば
「人を殺すのは絶対悪だ」
という人がいるが、それなら
死刑制度を設けている国や死刑執行人は全て悪ということになる。
では、「正しい行動」とは何なのだろうか。
私は
人間Aにとって正しい行動とは「人間Aがすべき行動」だと思っている。
では、「人間Aがすべき行動」とは何か。
それは
「人間Aが幸せになる行動」
である。
「Bを仲間外れにしない」を例にすると
Aにとって「Bを仲間外れにしない」が正しいかどうかは「Bを仲間外れにしないことがAにとって幸せかどうかで決まる」ということである。
もしBを仲間外れにしたら
「Bに対しての優越感を感じることができて、自己肯定感を保つことができる」
「集団でBを仲間外れににすることによって、集団への所属感を得て安心することができる」
等、短期的な幸せ(低レベルな幸せではあると思う)を得ることはできるのかもしれない。
ただ、人を仲間外れにするということは自分が仲間外れにされる可能性を上げることになるので、いずれ人間関係で苦しむことになり、長期的には不幸せな行動だろう。
よって、Aにとって「仲間外れにしない」は正しい行動だと言える。
「仲間外れは絶対に許されない」が正しいと思っている人を見ると、私は
「この人にとって、仲間外れがないことは幸せなんだな」と思う。
それが万人に共通することかどうかは分からないし、共通することだとしてもそれに気づいていない人もいる。
あるいは「気づいていても正しい行動をする方法を知らないのでできない」ということもあるだろう。
子どもたちに「正しい行動」について考えさせるとしたら
①その行動はあなたの幸せとどう結びついているのか
②どうすればその行動を行うことができるか
この2つを考えさせたいな。
以上です。ご一読ありがとうございました。