この記事ではローマ皇帝のマルクス・アウレリウスが書いた日記である「自省録」から興味深いと思った内容を僕の感想混じりに書いていきます。
この記事は
失った過去や失われた未来があると考える人
にオススメです。
失われるのは、現在この一瞬だけだ。だから、君は過去を失うことも、未来を失うこともない。いったい自分が持っていないものを、どうやって失うことができるというのか。
この「君」とは、マルクス・アウレリウスのことを指すそうです。
ローマ皇帝が現代の生身の人間のように、日記によって自分に活を入れていたんですねー
ちょっと親近感が湧いてきませんか??
この主張は、過去はすぎさったものだし、未来は不確かなものだから、人は過去も未来も持っていない。ならば、持っていないものを失うことはできないので、「失った過去がある」とか「失われた未来がある」という表現はおかしいという主張です。
たしかに論理的には過去も未来も存在しないかもしれないですけど、直感的には受け入れられないです。
そんなことを言ったら人が所有しているものなんて無くなってしまう気がする。
「いまを生きる」という考え方は、この世を瞬間瞬間でとらえるということ。
まるで写真のように瞬間瞬間をとらえるような…
写真のような考え方でこの世を理解しようとすると、人は生きていないようにも思える。
(だって、止まっているから)
よく「今を生きよう」という言葉を聞くけど、それを言う人はその「今」にどれくらいの幅があると思っているんでしょうか。
「自分がコントロールできるくらいの未来」が「今」という人がいましたが、それなら未来は存在することになる。
自分でも書いてて何が言を言っているのか、何が言いたいのか分からなくなってきた(笑)
時間に対する認知の仕方って難しいけど、過去や未来も含めて余計なことを考えず、一つのことに没頭するのは確かに幸せだなと思うので、熱中できることをしていたいし、やるなら熱中したいな。
ご一読ありがとうございました!