数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

【自省録】いがみあうことに意味がない理由

この記事ではローマ五献帝時代の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが書いた日記である「自省録」から「興味深い!」と思った内容を僕の感想混じりに書いていきます。

 

この記事は

人といがみ合いがちな人

にオススメです。

 

 

(私たちはみな)宇宙で生じるできごとの工作者であり、協同者なのである。

 

みなさんの周りにいがみ合っている人はいませんか??

それか、すぐに人のことを陰で悪く言う人はいませんか??

 

僕の周りにはいます。

ときには、僕自身がそうなってしまいます。

 

僕自身が人の愚痴を言ってしまうと、その後自己嫌悪になりますし、他人がいがみ合っているのを見ると、モヤモヤします。

 

なぜ人同士がいがみ合っているとモヤモヤするのか、しっくりこなかったのですが、このマルクス・アウレリウスの言葉でしっくりきました。

 

 

みんな本来、仲間じゃん??

 

 

学校の先生みたいに、きれいごとで「みんな仲間なんだから仲良くしよう」と言うのは嫌悪感があるし、言いたくない。

 

ここで言う仲間とは「同じことをしている人」。

 

そして、僕たちがしている同じこととは、この宇宙に影響を与えるということ。

 

意識していようがしていまいが、みなそれぞれがこの世に影響を与えています。

 

これはきれいごとじゃなくて、単なる事実。

 

例えば、「自分に価値がないな」と思ってしまう人がいます。

(僕もよく自己否定におちいります)

 

ですが、働いて税金を納めているなら、その税金がみんなの生活を支えているのだから、少なからず世の中に影響を与えています。

 

なら、働いていない人は世の中に影響を与えていないの??

 

いや、そんなことはない。

 

働いていなくても何かを消費したら、それによって経済が回る。

それを消費したことによって生産者にも影響を与える。

 

やはり、働いていなくてもこの宇宙に影響は与えています。

 

この本には「私たちは宇宙の協同者」と書かれていますが、この「私たち」には人だけでなく、他の動物や植物、モノでさえも含まれると僕は思っています。

 

植物だって、この宇宙の酸素と二酸化炭素を循環させています。

 

モノだってそこに存在しているだけで、「このモノを使ってみよう」「このモノを避けよう」とか動物の意思決定に影響を与えています。

 

結局何が言いたいのかというと

 

この宇宙に存在するものは、この宇宙に影響を及ぼすという仕事の協同者なんだから、みんな自分と同じ存在。

いがみあうのは不毛。

 

だということ。

 

アドラー心理学の目標に「共同体感覚を養う」という目標がありますが、共同体感覚とは「自分は共同体の一部である」という感覚だそうです。

 

学校や職場という共同体だけでなく、県、国、世界、最終的には宇宙といったあらゆる共同体にまでに広げるんだとか。

 

たしかに、この感覚があれば、不安に陥ることもないし、人といがみ合うのが不毛だという理由もしっくりくると思う。

 

いがみ合っている人をみたときは

「あ、同じことをしている仲間同士が、なぜかいがみあっている。エラーだな。」

くらいに思っておきましょう。

 

ご一読ありがとうございました!

 

 

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