この記事では著書「ニーチェの言葉」の内容を僕の感想交じりに書いていきます。
不機嫌になる大きな理由の一つは、自分のなしたこと、自分の産んだことが人の役に立っていないと感じることだ。
(『人間的な、あまりに人間的な』)
みなさんは、いつも不機嫌な人に心当たりはありますか?
僕はあります。
不機嫌な人って一緒にいるだけでイラつかせないようにこっちが気を遣うし、その人が出す負のオーラって周りに伝染しますよね。
不機嫌な人を傍から見ていると子どもみたいに見えます。
かっこ悪いし、人に悪影響を与えるし、不機嫌そうな人を見る度に
「うわぁ…自分は不機嫌にならないように気をつけよ…」
と冷静にその人を見ることができます。
ですが、かくいう僕も不機嫌になってしまうときがあります。
特に、忙しいときに予想外のトラブルが起こると、ため息ついたり、イライラして黙り込んでしまったりします。
僕は教員をしているのですが、そうやって僕が不機嫌になると、何人かの生徒は僕に気を遣い始めるので、「あ、またやってしまった」と自己嫌悪に…
なんで人は不機嫌になるんですかね。
ここでニーチェのありがたいお言葉。
不機嫌になる大きな理由の一つは自分のしたことが人の役に立っていないと思うからだ。
なるほど。
聞いたことない考え方。
「最も幸福度が高くなるお金の使い方は誰かのためにお金を使うことだ」と聞いたことはあるから、それと似ているな。
でも、ちょっと不思議。
ニーチェの考えに従えば、仕事をしていたら不機嫌になることはないということになるのでは??
だって、仕事は必ず誰かのためになっているはず。
仕事でお金がもらえるのは、その仕事が誰かのためになっていて、その人からの感謝がお金に変わるからだ。
でも、実際は仕事をしているなら全員機嫌がよくなるわけではない。
僕がいい例で、仕事をしているときに僕が機嫌がよくなることはまれだ。
教員の仕事って誰のためになっているかと考ると、子ども、保護者、地域の人ですかね。
じゃあ、教員の仕事がどうその人たちの役に立っているかというと…
なんなんですかね??
あんまり分からない。
授業でつける知識や技能が将来直接的に役に立つことってぶっちゃけあんまりないと思う。
「サイン、コサインいつ使うん?」って言うけど、たしかに将来サイン、コサインを使うことになる人がその教室に何人いるだろうか。
こういうと「数学は論理的思考力を身に着ける場なんだよ!」って言う人もいるし、学習指導要領にもそんなことが書いてある。
でもそれなら「数学を通して」じゃなくて、論理的思考力を身に着けるためだけの訓練をした方が合理的なんじゃないかと思う。
そもそも、「国民全員が数学を学びましょう」と決めている時点で違和感を感じる。
藤井聡太や大谷翔平は数学を学んでいた時間を将棋や野球に回した方が良かったんじゃないか。
同じように、全員が全員数学を学ぶべきだとは思わない。
いや、数学を学ぶことに価値がないというわけじゃないんだけど、その数学を学んだ時間をもっと自分の好きなこと・得意なことを磨くことに回した方がその人のためなんじゃないかと思う。
こんな調子なので、自分のやっている仕事が役に立っていることが腹落ちしない。
だから、仕事中は機嫌が良くないのかーと思う次第でした。
みなさんが、不機嫌になってしまったときに、「人の役に立てていると思えていないからなのかな?」とこの記事を思い出してくれたら、自分も人の役に立てたと思えます(笑)
ご一読ありがとうございました!