数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

数学教員の意外なストレス

この記事では精神科医のTomyさんの書かれた「1秒で不安が吹き飛ぶ言葉」から

 

ストレスって、強さだけじゃなくて「どれくらい続くか」っていうのも大事なの。

 

という言葉について考えたことをつらつら書いていきます。

 

 

私は教員をしているのですが、抑うつ状態になって、今は病休中です。

何か大きくストレスがかかったわけではなくて、日々の小さなストレスが溜まりに溜まったのかな。

仕事のストレスだけで抑うつ状態になったわけではないですが、ここでは学校での小さなストレスを具体的に書いていきます。

 

①子どもたちに「なんでこんなこともできんの?」って思ってしまう

子どもだからできなくて当然だし、それをできるように支援するのが教員の仕事だし、やりがいじゃないの?

という考えも浮かびます。

でも

「時間を守る」くらい言われんくてもできるやろ。

いちいち「あと○○分で授業やぞー」とか言わないとできないのかな?

自分で時間くらいみなよ…

小学生ならまだ分かるけど、もう中学生やろ…

しかも、時間を守れていないのに急ごうとしないことにまた腹が立ってしまう。

誰でもミスは起こるので「時間が守れない」ということは起こる。

でも、急ごうとしないのは気持ちの問題やんか…

 

ただ、こうやって「あと○○分で授業やぞ―」とか言っていたのが裏目に出たのかもしれない。

こんなことをしているから「どうせ先生が時間を教えてくれる」っていう思考になるのかな。

「嫌われる勇気」に書いてあった考えを借りると、子どもの課題を奪っていることになるんだろう。

いつまでも一人立ちさせようとしないから、子どもたちも自分で考えて行動しないのかもしれない。

 

②人前に立って喋るのがストレス

職員の前でも子どもの前でも「人前で何かを喋る」となると一気に心臓がバクバクしてくる。

中学生のまでは人前に出ようとするタイプだったが、いつの間にか多くの人と一度に接するのにエネルギーがいるようになった。

気心知れた人と3人以下で飲むのは好きなんですけど、4人以上になると誰であってもエネルギーを使う。

 

こんな特徴を持っているのに、当時の僕はこの仕事を選んでしまった。

「数学が好きだから数学教員になろう」くらいの理由でこの仕事を選んでしまった。

数学が好きでも「教えるのが好きなのか」「勉強するのが好きなのか」「新しい理論を考えるのが好きなのか」とか色々あるのに。

教育学部に入ったから教員しかないと思い込んでいて、自分の向き不向きについて深く考えていなかった。

 

数学の授業準備をするのは好きだ。

ただ、授業をすること自体は小さなストレスになっていた。

「数学教えてください」と個人的に生徒が質問してくれるのは嬉しいし、教えるのは楽しい。

ただ、30人を前に教えるのは日々のストレスだった。

 

③生徒に不自由を強いているのがストレス

僕は「人が自由であること」に価値を感じている。

自分に対しても他人に対しても。

自分に対しては「半強制参加の飲み会」や「実質強制参加の部活動」に不自由を感じてストレスだった。

 

子どもたちに対しては「宿題を課す」「不登校の子を学校に来させようとする」「校則やルールを守らせる」など、不自由を強いるのがストレスだった。

「そんなの不自由を強いているわけじゃなく、教員の仕事じゃん」と思う人もいるだろう。

 

でも僕は

・勉強なんて好きでやるものなのに何で宿題で拘束力を持たせることができるの??

不登校の子が「学校に行きたい」と思っているなら支援するべきだけど、自分で選んで「学校に行かない」と決めている場合、「学校に来させようとする」のは学校や保護者のエゴじゃないか??

・校則やルールの中には「学校が子どもを管理しやすいから」という理由で作られているものも多い。学校側の都合で人に不自由を強いていいのか??

とか思ってしまうんです。

 

最後に

学校での日々の小さなストレスを書いてみました。

他の記事より筆がのった(笑)

 

こうやって自分のことを書いてみると

自分は「○○すべき」「○○であるべき」という思考が強い

って思う。

この思考を持っていると、もし転職したとしても同じようにストレスを感じることになるだろう。

だから「べき思考」は無くしてしまうか、うまく利用してプラスのエネルギーに変えてしまうようにしたい。

ご一読ありがとうございました。