数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

叱るのって気力がいるな…

私は学校の教員をしているのですが、今日の仕事はめちゃくちゃ疲れました😒

いつもより叱る場面が多かったからです。

今日は叱ることについて考えたことをつらつらと書いていきます。

 

叱るって人の行動を強制するための行動ですよね。

叱ることで子どもたちを黙らせるみたいな…

でも、子どもらが騒いでいることって駄目なことなのでしょうか。

たしかに周りの子たちに迷惑がかかっています。

私も静かな方が好きなのでうるさい子がいるとイライラしてしまいます。

でも、それを見てイライラしない子もいるでしょう。

そうなると、うるさい子を見てイライラするのはうるさい子が問題なのではなく、それを見てイライラしてしまう周りの人の問題とも考えられると思うんですよ。

だって、イライラっていう感情って内側から起こるものであって、そのうるさい子からイライラを注射されるわけでもないじゃないですか。

 

だからと言って、うるさい子を放ったらかしにしたら、周りの子たちに「何で先生は注意せんの??」という不満を持たれかねません。

(先生が叱るかどうかなんてコントロールできることじゃないんだから、それで不満を持ってしまうのも生きづらいとは思いますが)

子どもたちの間で僕に対する不信感が募ると、仕事上困ります。

クラス内で問題が起きやすくなり、緊急対応に終われて早く家に帰れなくなります。

それに、自分に対する不信感が募っている場所に行くのはそれが例え子どもであってもしんどいですからね。

 

だから、その子のためというよりは自分のために「おかしい行動だな」と思うことはどんどん叱って、生徒の行動を強制すればいいのかもしれない。

だって教師ってそういう仕事だと考えられているから。

(僕は授業だけしていれば問題ないんじゃないかと直感していますが。いや、そうであったら嬉しいなという願望なのかもしれない)

 

叱るのってめちゃくちゃエネルギー使う。

世の先生たちは叱るとき本気でイライラしているんでしょうかね?

僕は本気でイライラしています。

というか、そうやって自分がイライラしたときしか気持ちを込めて叱れません。

演技で凄むのって難しいんですよね。

もし世の先生が、心の内は穏やかだけど、生徒に話を聞かせるテクニックとして凄んで叱っているとしたら、本当にすごいし、そうありたいなって思うな。

 

そろそろ終わりにしますが、今日はその叱るときに、上手く頭の中から自分の言いたいことにぴったりの言葉が出てこなくて、ショックでした。

これからコツコツ本をたくさん読んで使える言葉の数を増やしていきたいな。