数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

28歳男性教員の今日のモヤモヤを思いつくままに書いてみた。

今日の仕事はなんか嫌だった。

一番引っかかっているのは

「○○先生、学年の学級委員を集めて、学年を良くするためにどうすればいいかを考えさせたらどうかな」

と言われたことです。

あ、私は中学校で教員をしていて、学級委員会の担当をしています。

 

そもそも何で僕は学級委員の担当なんだろうか。

学級委員か他の委員会かで負担はかなり違う気がする。

学級委員は毎年やることが決まっているわけではなく、そのときそのときで学級・学年を良くするためにできることを考えていくのです。

例えば、保健委員会とかは昼の放送で給食の献立を言うという仕事が決まっています。

 

最近学年の雰囲気が良くないらしいです(僕は気づいていませんでしたが)。

それを先生から叱るのではなく子どもたち自身に気づかせて子どもたちが主体的に直していけたらいいよね、ということで学級委員が主体となって動くことに。

もちろん、先生から言うより子どもたち自身で気づいてやっていけたら一番いいと思いますが、一言で言うと

めんどくさい!!

委員会の時間ももう取れないから、どっかの時間を設定して集めなきゃいけないし。

先生から叱るのが一番手っ取り早いじゃないですか。

でも、学級委員が主体となって学年を動かしていくという経験を積ませないとリーダーが育たないらしいんです。

そっか。リーダーを育てなきゃだめなのか。

そもそも、それくらいの取り組みでリーダーが育っていくもんなのかな?

まぁやらないよりは育つか。

しかも、一回で育つわけじゃなくてそういう経験を繰り返させなきゃダメなんでしょうね。

 

先生が叱って学年を良くするのが一番手っ取り早いとはいえ、長期的に見れば確かに子どもたちに考えさせた方がいいかもしれない。

いつまでも先生が叱らなきゃできない子どもになられたら、こっちの面倒が増えますもんね。

教育の目標は「自立」とアドラー心理学で聞いたことがあります。

子どもを自立させることは自分を助けることになりますもんね。

 

全然気が乗らないけど、先生方の言っていることは的を得ているようにも思う。

まぁ形だけになってもいいし、学級委員たちにさせてみるか。

子どもたちにさせる必要性は腑に落ちていないけど、やれば先生方が言っている意味が分かるかもしれない。

 

でも、みんな結構思い付きで提案をするもんだし、どこまで本気で提案してきていたのか分からない。

モヤモヤすることは色々あるけど、なるようになるか。

「仕事は真剣にやるけど深刻になってはいけない」ってどっかで聞いたから、あんまり深く考えずに淡々と仕事をこなしていこう。