数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

僕って打算で生徒とコミュニケーションとっているのかな

みなさんこんばんは。

私は中学校で教員をしていて、2年生の担任をしております。

私はもともと子どもが苦手でした。

(何で教員になったんや。って指摘はごもっともです。)

ですが、最近は生徒とコミュニケーションをとるのも苦じゃなくなってきて、少しは教員らしくなってきたのかなと思っていました。

 

しかし、今日

あれ?僕って自分の損得を考えてしか生徒とコミュニケーションをとっていないのかな?

と思えました。

担任をしているある生徒が1か月ほど前から教室に入りづらくなってしまいました。

前はよくその生徒とコミュニケーションをとろうとしていたのに、今日は「その子とコミュニケーションをとろう」という気になっていない自分がいました。

 

その子が普通に教室に入れていたときは、ほどほどにしかコミュニケーションをとっていなかったのですが、その子が不安定になり教室に入りづらくなった時から、急に積極的にコミュニケーションをとるようになっていたのです。

「今、自分が頑張れば教室に戻ってきてくれるかもしれない」

という期待があったんでしょうね。

でも、今は全く教室に入れなくなりました。

そしたら「もうコミュニケーションをとっても教室に入れないか」と思ったのか、コミュニケーションをとる気が下がっていたのです。

 

薄情というか打算的というか、自分でも立派な姿ではないなとは思います。

それに対して、学年主任の先生は僕よりその生徒に関わろうとしています。

学年主任は根っからの生徒思いで、その子が教室に入ろうと入らなかろうとその子のことを思ってコミュニケーションを取ろうとするんですよね。

 

僕が自分で打算的だなと思う行動は他にもあって

担任をしているクラス以外の生徒にはほとんど話しかけないところです。

自分のクラスの生徒と話すことは、生徒との信頼関係ができて自分の学級経営にプラスになるとは思うのですが、他のクラスの生徒に自分から話しかけようと思わないんですよね。

自分にプラスなると思わないと話さないでしょうかね。

(実際は、他クラスの生徒とも話した方がめぐりめぐって自分のためにはなるんでしょうけど、実感が湧きません)

他の先生は損得勘定なしで生徒と話しているように見えます。

それが当たり前になっているんでしょうね。

 

こうやって自分の打算的なところを書いてみました。

自分のこういうところって生徒にも伝わってしまうと思うので、損得勘定なしで生徒と話す人になりたいな。

そっちの方が絶対教員として生きやすい。

 

ご一読ありがとうございました。