数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

10分間とにかく思いついたことを書いてみた。

みなさんこんばんは。

私は毎日ブログを書くことを日課にして、11か月くらい経ちます。

今日は10分しかブログに時間をとれません。

10分で思いついたことをつらつら書くと、なかなか低いクオリティになりますが、毎日更新を目的とした記事にします。

では行きます。

10分よーい、スタート。

 

今日は結構お腹が痛い。

こういうときはストレスを受けている証拠。

あんまりこれといってストレスを感じていることを自覚していないが、強いて言うならこれかな。

今日は仕事(教員をしています)で何がダメとは分からないけど、ずっと学年全体がふわふわしていて、嫌だった。

そういうところにいると、「何か起こるんじゃないか」と思って不安とイライラがくる。

イライラしてしまうと、生徒のことを疑ってしまうのが僕の悪い癖。

僕から見たら全然授業を頑張っていないなって思う子のことを疑ってしまって

「もうちょい頑張れるやろ」

と言ったら

「え、頑張っているんやけどな…」

みたいな悲しい表情をされました。

そっか、あの子はあの子なりに頑張ってやっていたんだな。

でも、それを疑ってしまった。

教員としても生き方としても良くないなと思いました。

 

他にストレスがかかった原因と言えば、仕事が終わるのが遅かったこと。

最後の方はほとんど頭が回っていなくて、昼なら10分でできることに30分くらいかけてしまっていた。

こういう状態で仕事をするのって本当に賢くないと思う。

 

そういえば、仕事でいいこともあった。

残業中に同僚が言った何気ないユーモアがめっちゃ笑えた。

人と同じことで笑うとなんだか嬉しいですよね。

 

今日、モヤッとしたことがもう一つある。

人権作文を子どもにかかせたことだ。

教員としては、「人権作文を子どもに書かせてください」という依頼がくるので、子どもに書かせているだけだ。

だから、人権作文を書くことに教育的価値があるのは間違いないけど、学校のメンツを保つために子どもに人権作文を書かせているのが実態だと思う。

子どもたちはぶつぶつ言っている。

「めんどくせー」「書くことねー」

などなど。

私も中学校の時は人権作文や読書感想文が嫌いだった。

やらされ感がはんぱじゃなかったからだ。

それに文を書くことも嫌いだった。

 

私は権力を使って人を支配するのがとても嫌いだ。

でも、今日は子どもたちに「とにかく俺の言うことやから人権作文かけ」と言っているような気分になった。

別にコンクールに何作か出したいだけだから、他の人たちは書かなくても困りはしないんですけどね。

 

あ、10分経ちました。

以上です。

ご一読ありがとうございました。