数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

「クラスは担任に似る」という前提にたってみると?

みなさんこんばんは。

私は中学校で教員をしており、2年生の担任をしています。

教員の中では「クラスは担任に似る」という考えは有名です。

僕もこの考えは的を得ていると思います。

 

最近、僕が担任しているクラスが荒れ始めてきているなーと感じています。

・授業中に授業と関係のないことで友達とじゃれあう。

・授業のチャイムが鳴ってから座り始める。

・仲のいい人としか話さず、人間関係に壁を作っている。

この3つが主に気になっています。

 

ここで、「クラスは担任に似る」という前提にたってみましょう。

この3つの荒れは僕のどのような部分が似てきているのか。

今日はこれについてつらつらと書いていきます。

 

①授業中に授業と関係ないことで友達とじゃれあう。

僕は大人なのでじゃれあうことなんてありません。

だから、そこは似ているわけではない。

でも

授業を軽視しているというのは僕と似てきたのかも。

今日は道徳の授業でじゃれあいが始まったのですが、それは生徒たちが道徳の授業を軽視しているということ。

そして、僕も道徳の授業を軽視しています。

道徳の授業で授業準備をすることはほとんどありません。

教科書通りの質問を生徒にするだけです。

もう少し、道徳の授業の価値を考えて、準備をして授業に臨めば生徒の態度も変わってくるのかな。

 

②授業のチャイムが鳴ってから座り始める

これは、自分から時計を見て判断して動こうという意識が子どもたちにないからですね。

子どもたちは、「周りの子も座っていないから大丈夫でしょ」となっていて、自分で正しいことを判断しようとしていないんですね。

そして、これは僕にも心当たりがあります。

何か決めごとをするときに、ただただ周りに合わせているだけで自分が正しい・良いと思うことをしようとしていません。

他人に自分の行動をゆだねているんですよね。

僕が職員室でこんなことをしているから、その姿勢が子どもたちにも見抜かれて、子どもたちも似てしまうのかな。

 

③仲のいい人としか喋らず、人間関係に壁を作っている。

子どもたちは、ずっと同じ人としか喋らないんですよね。

特に男女で全然しゃべろうとしない。

「男女でペアを組みなよ」と言っても全然組まない。

というか組めないようにまで見える。

自分がいつもいるメンバーから離れたら、死んでしまうと思っているんじゃないかと疑うくらい、新しい人間関係を作ろうとしない。

正直、見ていてイライラしてしまうレベルなのですが、これも僕に似てしまったのかもしれない。

僕も人間関係はあまり広げない方だし、自己開示もできていない。

まぁ自己開示して傷つくのが怖いんですよね。

そうやって僕が人間関係にビビっているから、子どもたちもマネをしているのかもしれない…

 

以上、3つの子どもの様子を自分の様子に照らし合わせてみました。

別に「生徒の行動は全て担任譲りだ」なんて極端なことを言うつもりはありませんし、そんなことを言う人は「カッコつけたいだけかな?」と思ってしまいます。

でも、自分が行動を改めた方が生徒も行動を改める確率が高まるのは事実だと思います。

人の行動なんてコントロールできっこないから、自分が変えられることを変えていこう。