数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

能登半島地震の影響で人生初避難をしてきた感想

1月1日に能登半島で大きな地震がありましたね。

私は昼寝をしていたのですが、地震で起きました。

私の住んでいる地域は震度4くらいで済んだのですが、沿岸部だったので津波警報が発令されました。

その時の様子を思い出して書いていきます。

 

始めに津波警報がでたときは、

「え、逃げた方がいいんかな…」

と迷いがありました。

大津波警報ではないですし、大丈夫かなと思ったのです。

でも、やはり頭によぎるのは東日本大震災のときの大津波

あれはもう13年前ですが、テレビ越しでもあの悲惨な光景は頭から離れません。

あのとき逃げ遅れた人も今の僕のように迷っているうちに流されたのかもしれない。

そう思うと、心臓がトクトクとしてきました。

 

そうしているうちに、親戚が家にやってきて

「うちはもう避難するで!道路も避難で車いっぱいや!」

見てみると、車は大渋滞していました。

それを見て私も母と一緒に避難することにしたのです。

人が避難したかどうかで自分が避難するかどうかを決めてしまいました。

人に命を預けたようなものだと思ったら、すぐに避難しなかった自分がちょっと情けなくなりました…

母に

「みんな避難するみたいやわ。車いっぱいやし、歩いていこ。」

というと母は

「え、いくん?大丈夫じゃない??」

と呑気なことを言っている。

一理あるなと思っている自分もまだいたが

「避難の練習やと思っていこ!いい運動にもなるし!」

と言って母を説得して一緒に歩いて避難することに。

 

ただここからの母の動きが鈍すぎる。

「あれを忘れた。取りに行ってくる」

「クーラー消してなかったし、消してくる」

「電気消した方がいいんかな?」

「そんなんいいから、体一つででてこいや」とめちゃくちゃイライラしてしまったが、冷静に待つことにした。

本当は待たないのが正解かもしれないが、放っておいたら母は来ない可能性もあったので、待った。

 

道中に近所の人に会って

「正月から大変ですね~。慌てて家をでてきましたよ~」

とか言って世間体を気にした嘘をついている母にイラッとしながらも避難所についた。

避難所は暖房もついていてかなり快適だった。

母に「体一つで出てこいや」と思ってたくせに僕はちゃっかり電子書籍Kindleを持ってきていたので、ひたすら読んでいた。

 

正月から不運な出来事だったがゆっくり本も読めたし、運動もできたし、避難の練習になったと思えばいい経験になりました。

今回は日をまたがずに帰ることができたが、被害がもっと大きいときは何日か寝泊りしなければならないでしょう。

「避難するときはこれを持っていく」という避難セットを用意しておく必要があるなと思いました。

 

僕の地域はこんな緩い避難で済みましたが、石川の被害は甚大ですね。

だからと言って、募金など何か助けることもせず、同情の気持ちを持つことしかしない僕でした。

すみません。