数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

なぜ自己否定をしてはいけないのか?

私はよく「自分はポンコツやな」「こんな自分は嫌だな」と自己否定をしてしまいます。

そこで、この記事では著書「反応しない練習」を参考に

なぜ自己否定をしてはいけないのか?

を考えていきます。

 

 

なぜ自己否定をしてはいけないのか?

なぜ自己否定をしてはいけないのか?

一言で言うと

合理的ではないからです。

必要ではないからとも言い換えられるでしょうか。

この本では不快を減らすことを目指しています。

不快を減らすのに「自己否定」をするというのは合理的ではないのです。

「そんなの当たり前じゃん」と思うかもしれませんが、「なぜ自己否定は不快を減らすうえで合理的ではないのか」を順序だてて考えていきます。

 

なぜ人は自己否定をするのか

そもそもなぜ「自己否定」をするのでしょうか。

自己否定とは「判断」の一つです。

「あの人は傲慢な人だ」「私は正しい」「投資をするべきだ」「今日は一日ついていなかった」「私はダメな人間だ」

これらは全て「判断」です。

人は判断が大好き。

その理由は2つあって

・分かった気になって気持ちがいいから

・承認欲求が満たされるから

です。

何事も分かるとスッキリしますし、「あの人が間違っていて、私が正しい」と判断していれば承認欲求も満たされますからね。

 

判断が必要かどうかの基準

ここで理解しておきたいのは「むやみに判断してはいけない」というだけで「合理的な判断もある」ということです。

合理的な判断であるかを見極める基準は2つあります。

「事実であり、有益か」です。

例えば、「会社の資産を増やすために投資をするべき」という判断を考えます。

投資が資産を増やすために効果的なのは事実ですし、会社の利益になりますよね。

だから、この場合「投資をすべき」という判断は合理的だということになります。

 

しかし、このように「事実であり、有益か」という基準で考えると、ほとんどの判断は必要ない判断になります。

この本では「それでも無駄な判断をしているのは単なる暇つぶし」と表現しています。

バッサリ切っていますね…

 

自己否定がムダな理由

代表的な無駄な判断が「自己否定」。

「自分はダメな人間だ」という判断です。

「自分がダメかどうか」なんて確かめる方法もないですし、単なる妄想で事実ではありません。

さらに、自己否定をすると承認欲が満たされず「怒り」が生まれます。

「怒り」は不快なのでそれを解消しようと、人は「闘争」か「逃走」モードに入ります。

「闘争」になると人に当たったり、自分を傷つけたりします。

「逃走」になるとサボったり、引きこもったり、刺激や快楽に依存したりすることになります。

まったく有益ではありませんね。

このことから「自己否定」は事実でも有益でもないので必要のない判断となります。

 

自己否定から抜ける具体的な方法

かと言って、「じゃあ今この瞬間から一切自己否定をしません!」と割り切るのは難しいです。

今までの思考習慣があるので、そう簡単には抜け出せません。

そこで、この本でおすすめされているのは

ひたすら歩くことです。

自分の体の感覚に意識を向けながらひたすら歩く。

そうすると、ネガティブな自分とは全く違う自分がいることに気付ける。

散歩は最強なわけですね。

また、「自分は自分を肯定する」と念じることもおすすめされています。

「私ならできる」とか「私は好かれているはずだ」などの世間で言うポジティブ思考とは違います。

そのようなポジティブ思考が現実とかけ離れていると、効果がありません。

逆に空しくなってくることもあります。

「自分は自分を肯定する」というのは単なる自分がありたい態度なので、いくらでも唱えておけばいいし、効果アリです。

 

おわりに

自己否定から抜け出すというのは、短期間でできることではないので、時間をかけて自己否定から抜け出す訓練をしていきたい。

また、自己否定に陥っている人を見たら、「大丈夫!」と判断するよりも「なぜ自己否定をしているのか?」と事実を見るように心がけたい。

この本は常に思考が合理的なので腑に落ちます。

ぜひ、手に取って読んでみてほしいです。

ご一読ありがとうございました!