数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

なぜ子どもに宿題を課すのか?

私は子どもに宿題を課すのに抵抗がある。

なぜ宿題を課すのが嫌いなのか大きく理由は2つある。

 

宿題を課すのが嫌いな理由2つ

子どもの自由時間を奪うことになるから

宿題を課すということは、本来子どもが自分の好きなように使えた時間が宿題をする時間に代わるということである。

これは大人でいうと、ボランティアで残業させられているのと同じなのではないか。

私が職場の飲み会が嫌いなのも部活が嫌いなのも人の自由時間を奪っていると感じているからだ。

自分がされて嫌なことは、たとえ子どもであっても人にしないということを大切にしているので、宿題は課したくない。

 

勉強は本来強制されてやるようなものではないから。

子どもたちが宿題をしてくる理由は何だろうか。

ほとんどは「提出しないと先生に怒られるから」という後ろ向きな理由である。

このような子どもたちは、答えを丸写しするという一番無駄な時間の使い方をしてしまう。

勉強なんてしたくなかったらしなくていい。

自分の内側から「勉強したい」という気持ちが起きた時にすればよい。

だから、他者に「勉強しなさい」と強制する理由が分からない。

当然、勉強しなかったことによって将来起こる結果に責任を持つことにはなるが、他者がどうこういうことではない。

 

宿題肯定派の意見に対して言いたいこと

宿題肯定派の意見として「家庭学習の習慣を身に着けさせる必要があるから」というのがある。

しかし、家庭学習の習慣は全員が絶対に身に着けなければならないほど大事な習慣だろうか。

もちろん、学校だけでなく家庭でも勉強をする習慣がある子の方が学力は伸びる。

しかし、全員が全員学力を伸ばすことが大事ではないだろう。

スポーツを頑張ることが大事だと思っている子もいるし、絵を描くことが大事だと思っている子もいる。

「宿題をしなさい」という大人自身は家で勉強しているのだろうか

何に時間を使うかは、本人が決めることだ。

家庭学習は文字通り、「家庭」での学習なのだから、学校が介入するべきことだとは思えない。

 

さて、宿題の是非について私の意見を述べてきた。

結局私が根本的に言いたいのは

人の時間の使い方はその人自身が決めるべき。

その時間の使い方に伴う結果に対しての責任を負うのは本人だから。

ということなのかもしれない。