数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

「あいさつをしなさい」の真意とは?

私は部活指導で生徒に「あいさつしなさい」と指導することが多々ある。

ただ、これを言うたびに次の議論が自分の中で起きる。

これは、本当に生徒のために言っているのか。

それともあいさつさせた方が自分の都合が良いからなのか。

日頃「あいさつしなさい」と指導している先生方も無意識に自分の都合のいいように生徒を操作しているのではないか。

私が「あいさつをしなさい」と指導する理由を挙げていく。

周りの先生からの目が気になるから

よく周りの先生から「先生の部活の子はしっかり挨拶できんな」と指摘されることがある。

これを言われると叱られたような気分になるので、生徒にも挨拶するように指導しているところはある。

叱られるから宿題を提出する生徒と同じように消極的な理由である。

 

あいさつの声が小さいとイラッとしてしまうから

あいさつの声が小さいと

「もっとシャキッとしろよ」

「なんで挨拶くらいまともにできんのや」

と私はイラッとしてしまう。

だから「あいさつをしなさい」と指導するときもあるわけだが、生徒にとったら

先生がイラッとするかどうかなんて自分には関係ない

だろうし、生徒があいさつすべき理由になんてなっていない。

このように、「自分がイラッとするから」という理由で指導する先生は多いのかもしれない。

 

「あいさつしなさい」と指導するのが習慣になっているから

あいさつが上手くできていないとほとんどの先生が「ちゃんと挨拶しなさい!」と指導されているので、僕もほとんど無意識で「あいさつ!」と言ってしまうことがある。

しかし、あいさつをすることを一度疑ってみよう。

本当にあいさつはその子にとって必要なのだろうか?

私自身はあいさつは「人間関係を円滑にする手段として有効である」「よく知らない人とでもまず「こんにちは」と言えばコミュニケーションが取れる」と捉えている。

しかし、その子が良く知らない人とコミュニケーションをとりたいか分からないし、この価値観を押し付けるべきでもない。

そもそも本当にその子が「あいさつは自分にとって必要」と思っていたら、指導しなくても自主的にするはずである。

と言うと「その子にとってあいさつは必要だけど、必要であることに気づいていないから教えなくてはならないのでは?」という意見がある。

確かにそうかもしれないが、ならば

なぜあいさつがあなたにとって必要なことなのかを説明するべきである

そうでないと、ただ教員の都合のいいように私たちを操作していると感じるのではないだろうか。

本当に自分のことを思って言ってくれているとは思わないのではないか。

 

以上、私が「あいさつをしなさい」と指導する理由について3つ述べてきた。

私は、自分が納得していないことをさせられるのがとても嫌だ。だから、子どもたちにも、あいさつをはじめ、自分ですることは自分で納得してやってほしいと思う。