数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

「幸せの総量を増やす」ってどういうこと?

2chの創設者であるひろゆきさんが書いた「1%の努力」という本の中に次のように書かれていました。

僕は、人生に「生きる意味」は存在しないと考えている。(中略)ただ、そう考えることで、「じゃあ死ぬまでにできるだけ楽しく暮らすほうがいな」と思うことができる。幸せの総量を増やすことを目標にすればいいのだ。

僕も人が生きている意味は(他のすべての生物もそうであろうが)特になく、人は単に宇宙が始まってから現在に至るまでの自然の流れの一部でしかないと思っています。

この考え方を持つと「人生楽しく生きればそれでいい」と思えるのです。

 

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ただ、「幸せの総量を増やす」とはどういうことなのでしょうか。

この記事では「幸せの総量を増やす」の意味について考えていきます。

まずは「幸せ」な状態とはどういう状態なのか考えましょう。

人によって幸せの定義は違うと思いますが僕は

脳内の幸福物質である「ドーパミン」「オキシトシン」「セロトニン」のどれかが分泌されている状態

だと思っています。

だから、「幸せの総量を増やす」というのは

「生まれてから死ぬまでに分泌された幸福物質の量をできるだけ増やす」

ということになると思いました。

だから、単に「今スイーツが食べたい」という欲求にかられて甘いものを食べて「ドーパミン」を分泌させていると、今は良くても将来病気になって幸福物質が分泌され辛らくなるので、人生における幸福物質の総量を増やす作戦としては良くないということになります。

ここで、疑問なのが

「今Aという行動をすると100の幸福物質が分泌されるが、それによって10年後は脳内物質が10しか分泌されない」

このような行動Aと

「今Bという行動をすると10の幸福物質が分泌されるが、それによって10年後には500の幸福物質が分泌される」

ような行動Bがあったとして、

AとBどちらの行動を選択するべきか

ということです。

「幸せの総量を増やす」ためには行動Bをとった方がいいことになりますが、それは今の幸せを捨てることにもなります。

具体的に言えば、例えばゲームが行動A,読書が行動Bに対応していて、今ゲームをした方が読書をするより「ドーパミン」が多く分泌されるが、読書をした方が10年後の幸福物質はより増えるので、読書を選択した方がいいということになります。

ただ、この事実がなかなか受け入れられません。

恐らく10年後の自分なんて他人のように思えるから、今の幸せを優先してしまうのでしょうね。

それに自分が直接コントロールできるのは「今」だけですから、将来を幸せにしようと思って行動しても将来幸せになるかは分かりません。

 

さて、「幸せな行動」について色々考えてきました。

「幸せな人生にするためにはどんな行動をとればいいか?」

と言われると難しいですが、

「今を幸せにする行動」と「将来幸せになりそうな行動」のどちらもバランス良く行えばいいのかなとなんとなく思っています。

以上です。ご一読ありがとうございました。