私は公立中学校で教員をしています。
私が勤めている学校ではいじめ早期発見のために月に1度「いじめアンケート」を生徒に行っています。
「嫌なことをされていませんか?」
「嫌なことを誰かがされているのを見たことはありませんか?」
等を聞いています。
その中である生徒が書いてきた内容…
「先生に対してのみんなの態度がひどすぎる気がする…」
というものでした。
なんか他人がどんな悪口を自分に言っているのかを生徒から聞くのってその生徒をスパイにしているみたいでいい気分ではないですが
「生徒がそのアンケートに書いてくるってことは生徒が聞いてほしい証拠だよ」
という先輩からのアドバイスは的を得ているとも思うので
「先生に対してのどんな態度が気になるん?」
とその子に聞いてみたら
「先生がいないところで…死ねとまでは言わないけど……」
と口をもごつかせていました。
「死ね」の直前まで来てるやん(笑)
しかもクラスの半分くらいの子が言っているらしい。
一部の生徒がひどい悪口を僕に言っている雰囲気は感じていましたが、半分と言われると正直傷つきました…」
ただ、いつかの偉い人が
「自分の許可をなくして自分を傷つけることはできない」
みたいなことを言っていたらしい。
「悪口を言われて傷つくのはその人の問題」
とおっしゃっていました。
たしかに悪口を言われても何も気にしない人も周りにはたくさんいます。
しかも、そういう人に悪口を言っても何も響いていない感じがするから悪口を言う方も次第に悪口を言うことに飽きますよね。
いちいち悪口を言われてへこんでいるから面白がられてさらに悪口を言われるんでしょうね。
アドラー心理学にある「課題の分離」とやらを僕は十分に理解できていないですが、
この場合で言うと
「悪口を言うことで子どもたちは短期的な快楽を得られる代わりに周りからの信頼を失っていく。だから悪口を言った結果の責任を最終的に負うのは子どもたちだから、俺の問題ではない」
ということになるのでしょうか。
でも困ったことに相手は生徒なので、学校としては仕事上その子の課題を放っておくわけには行かないんですよね…難しい…
(仕事と関係ない人だったら関わらなければいいだけの話なのに)
なんか、今日の一件に対して思ったことをつらつらと書いてみたら少しスッキリしました。
「悪口を言われてシンプルに傷ついた自分」と「傷つけているのは自分自身という事実が腑に落ちいていない自分」がいたのかなと思います。
アドラー心理学を深く理解するいいチャンスが来たと思って、また「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」を読み返してみよう。