この記事ではローマ五献帝時代の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが書いた日記である「自省録」の内容について考えたことを書いていきます。
理性をもつ動物、つまり人間だけが、納得したうえで自発的に運命にしたがうことができる。それ以外の生き物は、生け贄のブタのように、ただ服従するだけだ。(10ー28)
人間とそれ以外の生き物の違いに「人間は理性を持っている」という違いがあることは意識できていました。
ですが、その違いによって、「人間だけが運命を納得したうえで自発的にしたがうことができる」ということは意識していませんでした。
この自省録の中でアウレリウスは「宇宙でのすべての出来事は宇宙が始まったときから織り込み済みで、運命として定まっている」という考え方をしています。
まず、この「運命論」について僕の思っていることを書きたい。
僕は中学生のころ、人の家にイタズラで石を投げて、これでもかというほど親や先生から叱られたことがあります。
「真面目には生きよう」と思っていたのに、道を踏み外した自分にすごく嫌気がさしました。
でも、そのときに「最初からこうなることは運命として決定していたんだ」と思うことで、自責の念にとらわれ過ぎずに、切り替えて生きることができたのです。
だから、運命論は大いに役立つと身をもって感じています。
ですが、運命論を前提に立つと僕たちに自由意志なんてないことを認めることになると思うんです。
例えば、僕はイタズラをしてしまってから、もう一度「真面目に生きたい」と思って、勉強や部活に精を出していたのですが、それも自分が決めたことじゃなくて、最初から運命として決まっていたことになる。
今、こうやってブログを書いていることも最初から決まっていて、自分で行動を決めているように見えて、実際は神のような存在に操られているということになる。
そう考えたら、運命論ってかなりショッキングというか味気ないというか…
「これからプログラミングの勉強を頑張ってプログラマーになる!」と頑張ったとしても、運命は既に決定されているんだから、未来は変えられないことになる。
いい未来か悪い未来かは分からないけど、変えられないことが事実だとしたら、全然ワクワクしない。
時に身を任せて、流されるように生きても、自発的に生きても運命は変えられないということなのか??
そうは言っても、例えば今ここでこの記事を終えたらそれで終わりだし、このまま書いたら文章は続くから、自分で未来をある程度コントロールできている。
(運命論って本当に正しいのか??)
こうやって「運命論は正しいか?」でモヤモヤしてしまうのは、「運命論が全てのことに当てはまる」or「全く当てはまらない。すべては自由意志。」と考えるかの2つに1つと考えているからかな。
考え方なんてそれが「幸せに生きるために役に立つか」を基準にして採用すればいい。
それが正しいか正しくないかは大して重要じゃないし、分かりっこないことも多い。
考え方は幸せに生きるための単なる道具でしかない。
良いこと言った気がする(笑)
ご一読ありがとうございました!