この記事ではローマ五献帝時代の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが書いた日記である「自省録」の内容を僕の感想交じりに書いていきます。
ミツバチの巣にとってよくないことは、ミツバチにとってもよくないことだ。(6-54)
うん。
言われてみれば間違いない。
ミツバチの巣の一部が欠けるようなことがあったら、その部分に住んでいたミツバチが他の部分に移ることになるから、ミツバチ密度が上がって全てのミツバチに不利益がふりかかる。
(ミツバチの巣の構造知らんけど)
これを人間社会に当てはめてみたい。
例えば、教員の不祥事があったら、その人個人だけの問題ではなく、人間社会の問題になる。
未来の社会を支えていく人たちを育てる場所(学校)が安全な場所ではなかったら、人がまともに育たなくなり、将来の人間社会が成り立たなくなるかもしれないからだ。
そして一つの不祥事は次の問題を呼ぶことになる。
となりの人の意識が低くて問題を起こせば、自分も意識が低くなって、それが感染して、その学校の意識が低くなる。
そしたら、その隣の学校の意識が低くなって、それが広がってその市町村の学校の意識が低くなる。
それが、県、国とどんどん広がっていったら人間社会にとってかなりの不利益だ。
そんなことは起こらないかもしれないけど、教員の不祥事がない方が感染しないのは間違いない。
このような社会の不利益はめぐりめぐって、その社会に所属する人に降りかかってくるということか。
ミツバチの巣のように。
もう一つ僕に関する具体例を。
僕は「自由」を重んじていて、社会の中でのルールや暗黙の了解などに従いたくないと思っている。
例えば、職場での飲み会は行かない。
それでひんしゅくをかうこともあるけど、それって職場という社会にとって不利益なことなのだろうか。
もし僕が飲み会に行かないことで、職場に良くないことがおこるのなら、飲み会に行くことを再検討しないといけないな。
だって、社会にとって良くないことは自分や周りにとっても良くないことだから。
ご一読ありがとうございました!