数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

【自省録】自分の過去の選択を悔やんでしまうときに思い出したい言葉

この記事ではローマ五献帝時代の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが書いた日記である「自省録」の内容を僕の感想交じりに書いていきます。

 

この記事は

自分の過去の選択を悔やんでしまう人

に読んでほしいです。

 

 

君の計画は、ある種の条件つきのものだった。だから、そもそもまったく不可能なことを意思決定しようとしたのではない。

そのことを忘れてはならない。

では、君はなにを望んでいたのか?なにかをやってみようという努力そのものが目的だったのだ。

それなら、君は目的をはたしているといえる。

方向転換したとしても、君が推進しようとした計画は、すでに達成できているのだから。

 

僕には過去の自分の選択に「正しかったのかな??」と思うことがある。

 

それが教員になったことだ。

 

高校生の時に

友達に数学を深く理解してもらえるように教えるのって楽しい!!

と思い、数学の教員を目指し、教育学部の大学に4年間、大学院にも2年間行った。

 

親にも

「教員になりたいから大学に行かせてほしい」

と言ったし

教育学部に入ったからには教員になるのが自然な選択だろう」

と思って教員になった。

 

でも、本当はもう一つの働き方も選んでみたかった。

 

 

それがゲーム実況のYouTuberになること。

 

 

大学生の時に趣味で始めたゲーム実況が多くの人に見てもらえて、普通のバイト代くらいはアフィリエイト収入もあった。

 

YouTube活動はめちゃくちゃ楽しかったし

「これを仕事にできたら、どんなにいいだろうか…」

と気づかないようにしていた気持ちがふつふつと湧いてきていた。

 

でも結局は

「こんな収入で生活できるか分からんし、いつまでも多くの人に見てもらえるかも分からない。教員に比べたらYouTuberの世間体も良くないな。」

と思って教員になることにした。

 

公務員は副業禁止なので、チャンネルは削除したのですが、そのときは一人泣いてました(笑)

 

 

で、教員になって4年半。

現在は学校現場でのストレスにうまく対応できず、抑うつ状態になって病休中です。

 

「あのとき、YouTuberになる道を選んでいたら、どうなっていたんだろ??」

という考えが頭の中でよぎってしまいます。

 

しかし、ここでローマ皇帝のありがたいお言葉。

 

「君は何を望んでいたのか。なにかをやってみようという努力そのものが目的だったのだ。」

 

 

うん。そうだった。

 

もともと教員になりたかった理由は誰かに数学を教えたかったからだ。

 

「安定した収入があるから」

「世間体がいいから」

教育学部に入ったから」

なんて理由は些末で後付けのもの。

 

人付き合いが苦手な僕が教員になるのは不安もあったから、数学教える道を選ぶのも一種のチャレンジ。

 

そのときにこうやって抑うつ状態になることなんて分からなかった。

 

教員になるという計画は「健康でいる」という条件付きの計画だったんだから、上手くいかなかったからといって、不可能な選択をしたわけではない。

 

「数学を教えてみたい」という思いに従うこと自体が目的だったので、今こうやって抑うつ状態になってしまっても目的は達成されたと言える。

 

それに、YouTuberになる道を選んでいても鬱になっていたかもしれないし、どうなっていたか分からない。

 

過去の自分には過去の自分なりの事情があって教員を選んだんだから、過去の自分を責めるのは過去の自分が可哀想。

 

 

ということで、教員を選んでダメだったんならダメだったなりに、転職するとか他の方法を考えてみよー

 

 

みなさんも、何か過去の選択で後悔していることがあったら、このアウレリウスのお言葉を思い出してみてください。

 

ご一読ありがとうございました!