数学教員の一人議論

とある数学教員が頭の中の一人議論を形にします。

「嫌われる勇気」の「課題の分離」を実践できて嬉しい!

今日は車のスノータイヤをノーマルタイヤに交換するために、実家に帰りました!

父さんは知っていることも多いし、できることも様々なので、尊敬できる部分が多いのですが、一つ欠点があります。

無神経に人を逆なでするような物言いをすること。

 

例えば、母さんのことを「こいつ」とか「お前」と言ってみたり、僕が知らないことを質問をすると「先生なのにそんなことも知らんのか(笑)」と言ってみたり。

要は余計な一言が多いんですね。

 

そして、今日もいつものように無神経な一言を言われました。

タイヤの交換は自分でしようと思って実家に帰りました。

すると

「まず、おばあちゃんのところに挨拶に行ってきな」

と言われたので、すぐ隣のおばあちゃんの家に行って挨拶をしてきました。

そして、作業場に戻ると、もうすでに父さんがタイヤ交換を始めてくれていたのです。

ありがたいなーと思いながらも流石に重労働なので途中で

「交代しよか?」

と父さんに言ったら

「手袋も持ってきてないあんたは自分でタイヤ交換をする気もないやんか」

と言ってきました。

多分、言いたいことは「手袋がないんやし、自分がやるで」だと思うんです。

勘違いされないように言っておくと、父さんは別に気難しい人ではありません。

上機嫌でこんなことを言ってくるので、単に人をイラつかせないような物言いをするのが下手なのです。

 

「自分でタイヤ交換をする気もないやんか」と言われた瞬間、

「は?俺は自分でやろうと思っていたのに、俺におばあちゃんの家に挨拶行けって言って勝手にタイヤ交換始めたのはあんたやん」

ってイラついたのですが、ここでベストセラー本「嫌われる勇気」に書かれていたアドラー心理学の「課題の分離」を思い出しました。

「課題の分離」とは

「その行動・言動によって引き起こされる結果を最終的に引き受けるのは誰か?」

を考えて、自分のするべきことと相手のするべきことを分けることです。

 

今回の例で言うと、人をイラつかせるような発言をすることで引き起こされる結果は「周りの人が離れていく」ということです。

それを引き受けるのは僕ではなく父さん。

つまり、「人が言われて気持ちのいい言い方をするべき」なのは父さんの課題であって、僕には関係ないことなのです。

そして、「誰に何を言われても心を平常心で保つ」のは僕の課題。

別に父さんから何を言われたからって、その発言にどう反応するかは自分で決めることが出来ます。

今回は言われた瞬間にイラッとしてしまいましたが、言われた瞬間でも「父さんも何かイライラを抱えているのかな」「父さんの悪い癖を改善させるために自分ができることは何だろうか」と考えることも理論上はできるわけです。

嫌なことを言われてイラッとすることで引き起こされる結果は

「僕の気分が悪くなるし、それによって周りの人も気を遣って、僕から人が離れていく」

この結果を引き受けるのは僕。

だから「何を言われても平常心を保つ」のは僕の課題。

 

今日は父さんとのやりとりでイラッとしてしまいましたが、アドラー心理学の考え方が徐々に身についてきたことを実感できた日でもありました。

哲学本って面白いし、これからも色々読んでいこう!